なにげない今日をまばゆい一日にしてくれた、うれしいのドミノ。
パタ、パタ、パタ。
世界がとつぜん光輝く瞬間がある。
そしてその輝きは連鎖して、
パタパタとつぎつぎに
一日をあかるく、やさしく、あたたかく
照らしてくれることがある。
今日はそんな滅多にない
すてきな一日だったので、
忘れないように書き残します。
あなたのうれしいは、わたしもうれしい
今日は朝からうれしいことがありました。
最近 noteでつながったひっしゃさんがわたしのことを記事に書いてくださったです。
なぜわたしが登場したかというと、ひっしゃさんの記事を購入させていただいたから。
そのことがひっしゃさんはとてもうれしかったそうで、わざわざnoteに書いてくださったのです。
読んでいて、わたしまでうれしくなりました。
読みたい本を買うように、
買う意味があったから購入させていただいただけなのに、こんなによろこんでいただけたなんて。
自分の行為がとても崇高な行為に感じられ、誇らしく思いました。
わたしが「何者」になれた瞬間
それだけでも充分うれしかったのですが、その記事の中でわたしのことを「お母さんエッセイスト」と表現してくれました。
noteをはじめてもうすぐ2年になります。
わたしがお母さんになったのは、たった半年のこと。
たった半年だけど、自分が名乗っている「お母さんエッセイスト」だと他人に認識された。
これってすごいことだと思うんです。
自分で何者であるか名乗るのは簡単です。
まわりがそれを認識してくれて、
はじめて地に足がつく。
わたしはようやく、
何者になれたのです。
めぐりめぐる、うれしいの連鎖
ひっしゃさんは記事の売上で、ほかの方をサポートされています。(この発想がすてき。)
そのサポートされた方がめぐりめぐってわたしの noteに行きつき、フォロワーとなってくださいました。
こんなにすてきなつながりがあるでしょうか。
SNSのつながりなんて、
ただの数字でしかない
と思う方もいるかもしれません。
でも友だちの少ないわたしにとってフォロワーさんは、一人一人の人間で、きずなのある存在だと思っています。
こんなすてきなつながり方をしたら、それこそ一生忘れられない存在となるでしょう。
まだまだ止まらないうれしいの連鎖
こんなにうれしいことが続くと、わたしも誰かがうれしいと感じることをしたいなと思いました。
そこで、
✔︎人のラジオを聴いてコメントを書く
✔︎人のnoteを読んでシェアする
を実行しました。
すると発信者の方はとても喜んでくれて、わたしもうれしく思いました。
…と、これだけならよくある話なんですが、
ここからさらにパタパタと、うれしい方へ動いてゆきました。
わたしはついこのあいだ音声配信をはじめたのですが、右も左もわからないひとりぼっちだったので仲間がほしいと思っていたところ、
noteに理想のサークルが存在していることを、聴いたラジオ番組から知ることができたのです!
しかも、前からちょっぴり交流のある方がオーナー。縁の力を感じました。
ずっと目の前に存在していたのに、
まったく見えていなかった。
うれしいが連鎖して
はじめて視界にはいったのです。
(もちろんすぐにサークルに参加しました。はじめて参加したサークルがこんな奇跡で出会えたことにうれしく思います。)
忘れていた初心
そして最後に。
noteからうれしいお知らせが届きました。
noteをはじめた頃は、まだユーザーも少なくて、しょっちゅうこのようなお知らせが届いていました。なので「ありがたみ」を感じていませんでした。
しかし今や210万人の登録者がいて一日15000件の投稿がある記事のなかで、「特にスキを集めた記事」になれたことは、書いた文章に力があったと自負していいのではないでしょうか。
光栄で、
ありがたい。
そして、うれしい。
もしかしたら、1年前に選ばれていたこともスゴイことだったのかもしれません。
1年前の方が、人の心に響く文章を書けていたのかもしれません。
今一度、初心にかえって、よい文章を書きたい。そう思いました。
うれしいのドミノの先頭になりたい
かくしてわたしのうれしい一日は幕をとじました。
うれしいの連鎖のおかげで、
なにげない今日がまばゆい一日となりました。
次々に連鎖していく、
まるでドミノのような
うれしいの先頭になりたい。
先頭になれなくても、
途中でとめてしまう人にはなりたくない。
お金が稼げなくても、
自分に見返りがなくても、
うれしいを、わたしは止めない。
パタ、パタ、パタ。
具のない🍙まき子(@makicome1986)
数多ある文章の海から、 みつけてくれて、ありがとうございます。 現在、不定期更新・お休み中です。 鹿児島から愛を届けています。