共感し、ない。

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Perch.のお手紙 #103

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親しい友達が、とても落ち込んでいるのを見て、ふと「共感」について考えた。


私は大学の学部生から修士前期の6年間、臨床心理学を専攻していて、それは高校生までの人生の中で、自分が人の気持ちが全然わからないことに問題を感じていた事が大きかったと思う。


臨床心理学において「共感」というのは基本的な姿勢の一つで、かなり徹底的に「共感」とは何か、「共感的な姿勢」とは何か、ということを学ぶ。


「共感」はカウンセリングがスムースに進むための、一つのキーとも言えるかもしれない。


そんなこともあって、私が他者とコミュニケーションを取ろうとする時、カウンセリングの現場を離れた今でも「共感」的な姿勢というのは、長らく私が誰かと繋がるための切り口というか、スキルだったんだなぁ、と思う。


少し前までは、大切な人が落ち込んでいたら、苦しんでいたら、その人の落ち込みや苦しみに共感して寄り添って、自分もとても辛くて苦しい気持ちになっていた。


そしてそれが、大切な人のためにできることだと思っていた。



なんだけれども、今週ふと、「共感やめた。」と思ったのです。


もう私は「共感」なしでやっていってもいいんじゃないか、って。


本当は、私は、やっぱり、その人が考えていることを本当には分かれない。


その人の悲しみも、その人の絶望も、もしくはその人の本当の喜びも、幸せも。


それはきっと、その人だけのものなんだと思う。



その人を分かろうとする気持ち、が無くなったら、何が残るのかを考えていた。


その人を大切にする気持ちが残る様な気がしている。


私にできることは何もないし、気持ちをわかってあげることもできないんだけれども、私はあなたの事が大切だよ、っていう気持ちが残るんじゃないだろうか、と思っている。


だから私は、一緒に辛くなるんじゃなくて、ここで元気に私を生きて、けれどもあなたのことを大切に考えているよ。