わかれ道

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Perch.のお手紙 #129

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今週親友と「道がわかれるとき」という話をした。


その友だちは仕事の中で大きな決断を目前にしており、どんな結論を出すべきか、と言う話を聞いていた時のことだった。


これまでのことやこれからのこと、残された時間のことや人生のこと、いろいろな話をした。


自分がかけている時間や労力、思いや気合や犠牲にしているもののこと。
もちろん相手がかけてくれているものもあるけれども、自分が出しているものの方が比べられないくらい大きいと思う、ということ。


そして、大切にしているものが違う、ということ。
相手にとって1番大切なことと、自分にとって1番大切なことが違うんだ、ということが分かったこと。


その2点が、その友だちをわかれ道へと誘っている様だった。


話を聞きながら、そしてこの2つは今回のことだけでなくて、人間関係の仕事でも恋愛でも友情でも、道がわかれる時に思うことだなぁ、と感じていた。



長く長く続くものがある一方で、ずっと一緒にはい続けられないこと、ふと道がわかれてしまうことがある。


わかれ道は、このまま永遠に続く様に思われた途端に、ふと目の前に現れる。
今さっきまで、そこにあるとは気づかなかった様な瞬間にも、ふと立ち現れたりして驚かされたりする。


その道は、いつも不可逆で、前にしか進むことのできない人生を恨めしく思ったりもするのだけれども。


これまでに過ごしたいい時間や、一緒に経験をしたことが、消えずにずっとそこに道としてあり続けて、これから先の自分の一歩に繋がって行くんじゃないかなぁ、と思う。


道がわかれる時、少なくない痛みや、悲しみや、この決断でよかったのだろうか、という迷いが生じることもあるけれど。



これまでその友だちが、その仕事にかけてきたいろいろを、近くで何年も少なからず見続けてきた自分にとっては、様々に感じるところがあった。


その夜、今はわかれる道を選ぶしかないね、という友だちと、しょうがないね、と苦く笑い合った。


「わかれみち」とタイプすると「別れ道」と「分かれ道」、2つの変換が出てくることを知った。


友だちはわかれ際、けれどもちょっとわくわくしている、と言った。