音楽 藤井麻輝と棘と睡蓮 のこと
藤井麻輝さんのライブ活動引退公演『麻輝/棘』を見届けた。
1. 藤井麻輝さんのこと
1989年。幼かった私は、SOFT BALLET『BODY TO BODY』MVでキーボードを叩き割る姿にヤられ、強烈個性三人組のなかでも藤井さんに釘付けに。それから好きな音楽や映画も影響受けまくり、エレクトロニック・ボディ・ミュージック、インダストリアル、ノイズを聴き漁る奇天烈女子小学生化したのも彼の悪影響おかげだ。時々離れる不真面目ファンでもまだ聴き続けているのがとても感慨深い。当時の自分に、33年後も聴いているよ、しかも真ん中で歌っているよ、と伝えても絶対信じないだろう。
2. 麻輝/棘のこと
2022年2月5日。LINE CUBE SHIBUYA。渋谷公会堂からリニューアル後は初めて訪れる。素敵な会場だった。
BUCK-TICKとKIRITOから御花が。
ライブ活動引退。これが最後なら「睡蓮」にけじめをつけるつもりではないかと勝手に期待した。とはいえ想像以上の「睡蓮」のたたみかけに狼狽する。轟音爆音に身を委ねながら、生命照明に心揺れながら、これは一体なんなのかわからなくなる。芍薬さんの声と藤井さんの声の重なりに蹂躙される。芍薬さんの存在に覆われて、その不在に襲われる。意識がホール全体に拡散したり砂粒のように凝縮したりを繰り返す。あの「睡蓮」が続いていたら、あの「睡蓮」が復活していたら、そんな単純なことじゃなくて言葉で表しようがない。没入感と呼ぶにも度が過ぎる一時間。あとはひたすら感謝と寂寥に満たされていた。
最後の曲が終わる。鳴りやまない拍手のなかいきなり客電が点く。目覚ましが鳴ったような規制退場アナウンス。ここまでがステージ演出。さすが見事、とすこし笑む。感情も感謝も感傷もすべて歌と音と光と姿で演じきったのだから「さあ終わりだよ」というメッセージ。私も帰ろう、現実に戻ろう。すべて「受け止めた」つもりで寒風の渋谷を去った。
帰宅後、SNSに溢れるつぶやきを眺めるうちに頭がぐるぐるしだす。
なぜ「棘」と名づけ、なぜ瀧廉太郎の「憾」で開演し、なぜ「カナシミ」で歌いはじめ、なぜ「夕鶴会」で歌い終えたのか。すべてに意味があるはず。興奮と高揚のまま「受け止めた」つもりでいたのが恥ずかしい。問いかけに気づけていないんじゃないか、歌と音と光と姿の渦にただ飲まれただけじゃないか、これで終わっていいのか。わからない、わからない。これからも考え続けるだけだ。
睡蓮とminus(-)『C』の統合に胸を熱くさせられたのも忘れない。石川智晶さんとの再会も願いたいが。
3. 睡蓮(𝖲𝖴𝖨𝖫𝖤𝖭)のこと
2006年。諸事情であまり音楽を聴かなくなっていた私は、偶然知り合った「或る御方」からデビュー前の「睡蓮(𝖲𝖴𝖨𝖫𝖤𝖭)」を教えていただいた。すぐ虜となり配信も音盤も映像もLiveも追いかけた。
その頃、SNSに載せたレビューで「花の睡蓮に棘はないが、音の睡蓮には棘がある」 と綴ったのを想い出す。この棘はいつまでも刺さったままとなりそうだ。
「或る御方」に深く深く感謝を籠めて。
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