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【絵本✖️ものの見方】『げんきなマドレーヌ』

わたしは「絵本」を用いて学習者の「ものの見方」を育成することを目指しています。

絵本の原作と翻訳を比較することを通して、ものの見方を培う授業デザインをして、実際に授業をして学習者にどんな学びが起こったのかを調べることを主な研究のテーマにしています。それを「英語教育」として行えるかを考えています。


Madeline

Ludwig Bemelmans原作で1939年に出版されたMadelineという絵本です。

Ludwig Bemelmans  (1939) MADELINE.Viking Press


日本語翻訳版でも大変人気のあるシリーズですが、わたしは原作を英語で先に読みました。そして、日本語版を手に取った時、「え?」と違和感を感じたのです。


『げんきなマドレーヌ』

ルドウィッヒ・ベーメルメンス作、瀬田貞二訳(  1972  )『げんきなマドレーヌ』.福音館書店

タイトルは『げんきなマドレーヌ』だったのですが、わたしが英語の原作を読んで持っていたマドレーヌへの印象とちょっと異なっていたものですから。

わたしのなかでは「げんきな」というよりは「おしゃまな」みたいな形容詞がぴったりかなあ、と思いました。もちろん、わたしの読み手としての単なる主観です。

でも、原作を読まずに日本語でこの絵本に出会う子どもたちは、読むまえにこのタイトルをみて「げんきな」マドレーヌのお話なんだな、と認識しますよね。印象が固定されてしまうかもしれません。

というより原作がMADELINEなんだから、「マドレーヌ」じゃだめだったのかな。でも、『げんきなマドレーヌ』の方が、売れるんでしょうね。

ここに、あらかじめわかった上でストーリーを楽しむことが好きな日本人の国民性のようなものも感じます。ネタバレしても、ちょっとわかった上で楽しむことが好き、なのかなあ。


読み手の解釈は自由

文学においては、書き手がどんなメッセージを込めていたとしても、それを受け取る読み手の受け取り方、解釈は自由ですよね。

でも、このように翻訳される場合、書き手を読み手の間に翻訳という過程が含まれ、そこで意図がつけ加えられますね。

むしろわたしは、そのつけ加えられた意図にも面白さを感じています。どんな意図があって、この変更がなされたのかなあって。「げんきな」をつけ加えた方がよい、と判断されたその意図を考えることに価値を感じているのです。

その楽しさを学習者にも味わせたいと思っています。この絵本はまだ授業で使ったことがないのですが、いずれ用いてみたいと感じている絵本のひとつです。


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