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エンディングノートを書くということ

エンディングノートの存在を知ったのはもうずいぶん前のことだけど、エンディングノートは終活のひとつとして老後を迎えた一部のひとたちが書くもの、というイメージを持っていました。

つい最近祖父の死を経験し、そのとき祖父が残してくれたエンディングノートに救われたり助けられたり、そして祖母も書いているということを知ったりして、少しエンディングノートというものを身近に感じるようになりました。

わたしには「残された家族が争うことなく、平和にあたたかい気持ちで故人を送り出せるように」という思いで葬儀の会社で働いていたことのある友人がいて、

彼女からエンディングノートについて話を聞いたことが過去にもあったのですが、今までのわたしにとってはどこか自分には関係のないことのような気持ちがあり、まだまだ自分には必要ないと感じていました。

でも最近エンディングノートって「自分と向き合う」ツールであり、とても前向きなものなのかもしれないと思うようになり、思い立ったが吉日、彼女に電話をかけてたくさん話を聞かせてもらいました(笑)。

そこで聞いたこと、感じたことをメモします。

わたしがエンディングノートを書いてみたいと思った理由。

ひとつはもちろん、子供が生まれて自分の家庭ができたから、自分に万一のことがあったときに家族が困らないようにしたいから。

でもそれより、「自分と向き合う」というところにフォーカスして興味を持ちました。

若い頃のわたしはせいぜい来年の自分をイメージすることくらいしかできず、10年後、20年後の自分なんて全く想像できませんでした。

結婚をして子供を産んでママになりたい!という子供の頃からの夢をかなえて、じゃあこれからどうするの?と、ママになることをゴールにしてしまっていたことに気がついて、初めて自分の人生と向き合うようになりました。

そのなかで「人生のゴールをどんなものにしたいのか」という切り口から、そのためにどうする?今何をする?という逆算的な考え方が腑に落ちて、そこを深掘りしていくツールとしてエンディングノートは使えるかもしれないと思ったのです。

エンディングノートって?

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若い世代だとエンディングノートってそもそも何?という人も多いかもしれません。

エンディングノートとは、自分が死を迎えたときの残された家族に向けて書くものです。

ライトなものだとこんなお葬式にしてほしいとか、最後に家族に伝えたいこととか、自分の思いをメインに書くものから、銀行口座の暗証番号や保険証券の情報などまでぬかりなく書き込めるものまで様々な種類が販売されているそうです。

エンディングノートは、書籍・ノートとして、以前からよく売れている商品だそうですが、実際に書き込んだという人は購入した人のうち2%くらいしかいないそう。

どうしても「死と向き合う」とマイナスな感情に引っ張られてしまったり、そもそも自分に合ったノートに出会えないと書く項目を埋めることができなかったり…

やっぱりわたしたちにとって「死」はまだまだ遠い先のことだと思うから、後回しにしてしまうのでしょうね。

でもどんな人もいつ何が起きるかわからない。明日が来るのは当たり前なんかじゃない。

元気だけが取り柄です!と言っていた人が突然大きな病気を告知されることだって、行ってきます!と笑顔で出かけて行った家族が事故や災害に遭うことだって起こり得ることですよね。

「死」から遠い時だからこそ、エンディングノートを前向きに書ける!

いざ「死」を身近に感じてからエンディングノートを書こうとすると、それこそネガティブな感情や言葉があふれてきてとても辛い作業になってしまうのだとか。

それなら、何でもないいつも通りの暮らしをしながら、1年に1回とかタイミングを決めてエンディングノートの日を作るのはどうかな?と提案を受けました。

エンディングノートは何度でも書きかえて良いし、消しても追記しても良い。必要ない項目は書かなくて良いし、足りない項目があれば足せば良い。

とても自由なもの。

時間の経過と共に年齢も経験も重ね、家族が変わったり世界そのものが変わるのだから、今考えていることが10年、20年経っても変わらないわけないよね、と。

だから定期的に見直して、その時の自分と向き合うツールとしてエンディングノートを使うのはどうかな、と。

何でもない時に自分と向き合うことで本当に自分の大切なものが見えてきて、人生において「これだけはおさえておきたい」というポイントが明確になるから、そうすればあとはもっと自由に人生を楽しむことができるんじゃないかな?と。

なるほど、エンディングノートってこんなに自由で明るいものだったなんて、新しい発見でした!

親子や夫婦でノートのシェアができたらもっと素敵♪

それから「ぜひエンディングノートを家族と一緒に書いたり見せあったりしてほしい」と言うのです。

そんなの恥ずかしくてできないよ〜本音が書けなくなっちゃうよ〜と、ちょっと秘密主義なわたしは思いました(笑)。

しっかり自分自身と向き合って本音をノートに綴っていくと、確かにシェアするのは恥ずかしいと感じるかもしれない。でも、それだけ向き合って書いたノートには大切なことがたくさん書いてあるに違いない。

自分の大切な人の大切なことは大切にしたいじゃない?どんなことを大切にしているのか、家族であってもそこで初めて知れることもあると思うから、ノートのシェアをすることで生きている時間の家族の関係ももっと良くできると思うよ!と。

わぁ〜すごいアイディア!

でもほとんどの人が恥ずかしさが邪魔をしてしまうと思うから、自然体でシェアできる仕組みづくりが課題だとも。

確かにそうだなぁ。シェア前提で書いたら多分本当の本音では書けないだろうし。

でも、大切な人の大切にしていることを大切にしたい、という言葉がすごくささりました。

エンディングノートを書くことは、決して後ろ向きなことではないのだ。

日本では多宗教の影響もあるのか「死」がなんとなくタブー視されていることもあり、エンディングノートを書くということはものすごくパワーが必要でおおごとのような扱われ方をしているそう。

でも何度でも書き直して良いとか必要な項目だけ書けば良いとか、もっと気軽にメモ感覚で書いて良いものなんだよね、と。

エンディングノートの本来の目的で考えれば、もし自分に万一のことがあっても残された家族が困らないようにするための情報ノートだから、そうした部分は事務的に淡々と書いていけば良い。

あとは前向きに自分がこんな人生にしたい!と思う気持ちと向き合って書いていけば良いのだから、決してネガティブなものではないんだよ!と教えてくれました。

まずは自分の最期の時「あー◯◯な人生でよかった!」とか、自分のお葬式に参列した人たちが「まきって◯◯な人だったよね」とか、この◯◯が何なのかを導き出して、そこをゴールにこれからの人生を謳歌していきたいです。

早速エンディングノート探しにいこう♪

ちなみに、ノート選びはとりあえず買ってみてから考えるのが良いんだそう。

一人一人状況はそれぞれだから、必要な項目や書きたい項目だけを網羅しているノートは見つからないかもしれないけれど、普通のノートに「さぁ、書くぞ!」と意気込んでも何から書いて良いのか、書くべきことは何なのか迷ってしまって特に初めて書く人にはとても難しいとのこと。

とりあえず1冊買ってみて、書けるところを書き込みながら自分に必要ない部分、もっと必要な部分を探って、徐々にオリジナルエンディングノートに育てていくのがおすすめだそうです。

なにごとも「まず、やってみる」ですね!


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