ジャーナリストの死で緊張するパレスチナ
シリーン・アブ・アクレ 氏に哀悼の意を込めて
ちょうど一年間に、イスラエルとハマスが激しく衝突し、ガザでは約250名がなくなり、イスラエル側も13名がなくなりました。イスラエルも、昔は労働党とリクードの2大政党でわかりやすかったのですが、ここ数年、政党が分裂したり、新しい政党ができたりで、政局が安定せず、2年間で4回もの選挙が行われています。いずれもネタニヤウのリクードが第一党になっていましたが組閣ができずに選挙を繰り返し、人気をとろうとガザ攻撃まで行うも、組閣に失敗して下野しました。
一方パレスチナ側も、西岸のファタハとガザのハマスに分かれたままです。昨年5-8月の間にパレスチナの大統領選と議員選挙をするはずだったのに、東エルサレムでの投票をイスラエルが認めないということで延期したものの、一体いつやるのか見通しが立っていません。
最近ではウクライナ危機が毎日のように報道される中、パレスチナは一体どうなっているのか気にはなっていたのですが、そんな中飛び込んできたのが、アルジャジーラの記者、シリーン・アブ・アクレ氏がジェニンで銃殺されたというニュースでした。
20年前のジェニンでも、援助職員が殺されていた。
ジェニンと言えば、私が最後にパレスチナを去ることになったのが、2002年のジェニンの悲劇です。ジェニンの難民キャンプがテロの巣窟となっているとしたイスラエル軍は、4月1日から11日間キャンプを包囲し、激しい攻撃を行っていました。イスラエル軍が虐殺しているとの情報が入り、国連の安保理は決議を採択し、緒方貞子さんらを加えた調査団を派遣することを決定しますが、イスラエルはかたくなに拒否しました。
当時、私はNGOで人道支援を行っていたのですが、封鎖が解けずなかなか町には入れてもらえませんでした。イスラエル軍が撤退してようやく中に入ることができました。難民キャンプは、70年近くも人々が暮らしているので、いつしかテントからコンクリートの建物にかわり、狭い路地が入り込んでいるのですが、戦車か、ブルドーザーが無理やり通った為に、家がえぐれていました。さらに真ん中にはぽっかりと空き地になっており、イスラエル兵がブルトーザーで片っ端に家屋を破壊していった跡でした。そのあと、私は、「人道支援をした罪」でだかわかりませんがイスラエルへの入国を拒否される羽目に。
また、11月にはUNRWAの英国人スタッフが銃撃を受け死亡しています。当初UNRWAの報告では、何者かに撃たれた、としていましたが、イスラエル防衛軍が現場に急行した救急車の進入を阻み、同職員の病院への搬送が遅れ、病院に着く前に息を引き取ったとのことでした。しかし、イスラエルは職員がキャンプでの銃撃戦の最中に死んだ、と主張していました。その後UNRWAは、英国人はイスラエル兵に背後から撃たれたことが判明したと発表しました。
以下にその時に現場を目撃し自らも撃たれてけがをしたカオイム・バテリーさんの証言です。今回の事件に似ています。20年、何も進歩していません。
今でも続く暴力の連鎖
さて、今年の3月からイスラエル、パレスチナできな臭い事件が起きていて、これまでにイスラエル側19人が死亡し、多くの人が負傷しています。イスラエル治安部隊が、それに対し、ヨルダン川西岸での作戦を強化した結果、少なくとも26人のパレスチナ人が死亡しました。一体何が起きているのでしょう。
3月23日、イスラエル南部ベエルシェバのショッピングセンターで22日、刃物を持った男性が通行人などを襲い、4人が死亡➡ISが犯行声明27日 ハデラで2名を射殺➡ISが犯行3月29日 テルアビブの東にある超正統派の町ブネイブラクで5人を殺害➡犯人はジェニン近郊の村(ファタハ系?)4月20日、パレスチナのガザ地区からイスラエル南部に向けてロケット弾が発射され、イスラエル軍は報復としてガザ地区を複数回にわたって空爆4月7日、ジェニン出身の若者がテルアビブで乱射、3名が死亡 犯人がジェニン出身者が数名いたためにイスラエル治安当局は、ジェニンがテロの巣窟になっているとして軍事作戦を展開していました。 現在の首相は7議席しかとっていないヤミナのナフタリ・ベネット氏。右派、左派、アラブ政党もまぜこぜになった連立政権では、セキュリティに関しては特に厳しい態度をとり、指導力を見せつけたいところです。しかし、今回取材していたシリーン・アブ・アクレを射殺したことで国際的な非難を浴びることになりました。
シリーンさんは、ベツレヘム出身のキリスト教徒で米国籍も取得しています。イスラエルは「パレスチナの武装勢力に撃たれた可能性を調査する」とし、ヤイル・ラピド外相は、パレスチナ自治政府と共同で調査を実施することを申し出たと述べたそうです。
しかし、パレスチナ側は、データーが改ざんされる恐れがあるとし、拒否しています。イスラエルは、今までも金にものを言わせた交渉力で事実をねじ伏せてきましたし、パレスチナ側も、第三機関による調査も受け入れない方針です。どちらを信頼していいのかということになりますが、イスラエルの人権団体や、現場にいた記者の証言からもパレスチナ武装勢力はその場にいなかったようです。
葬儀でもイスラエル警察の暴力が
さらに驚いたことに、シリーン氏の葬儀で、棺を運ぶ人たちにイスラエル警察が警棒で殴り掛かり、棺が何度も落ちそうになる映像です。なぜ、このような葬儀にイスラエル警察が暴力をふるうのか、恥すべく行為としか言いようがありません。
こちらの動画を是非ご覧ください。
最後に
すべての真実に忠実であろうと報道を続けるジャーナリストの皆様、人道支援という名で現場で体を張っている皆様。
20年前と何も変わっていないイスラエル軍や警察の横柄な態度は、許すべからずですが、それでも活動を続けていただきたいと切に望みます。パレスチナの平和のために。
5月21日は出川さんの講演会です。
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