見出し画像

「敵の子どもたち」映画を見た。

 敵の子どもたちという映画をみた。
8月のある日、試写会に渋谷まで出かけて行ったのはよかったが、駅の大工事のために、方向がわからなくなってしまい、会場についたときはすでに映画が始まっていた。IS(イスラム国)の映画だということで、私は緊張していた。イスラム国と聞いただけで、殺された友人たちのことが目に浮かんでしまう。もっと余計なことまで思い出すのではないかという恐怖もあった。
 2003年のイラク戦争からずーっと、イラクにかかわってきた。私の仕事は人道支援が仕事だったので、ジャーナリストたちの前線からは一歩下がったところにいたが、時として、私の方が前線にいるときもあった。外務省からは、イラクにいるだけで注意されたが、支援が必要とされるからには前線で張らなければいけないこともあった。捕まって人質にでもなれば皆に迷惑をかける、そういう緊張感は絶えなかった。

モスルから避難してきた人達 2014年

スクリーンに現れたパトリシオという長髪の男性は、イスラム国の映画には異質だった。一体何者なんだろう。もう始まってしまった映画のストーリーを慌てて追っかける。妻がイスラム教に入信し、彼らは離婚していたが、娘のアマンダはムスリマとして過激な思想にのめりこんでいく。アマンダはマイケル・スクラモというスウェーデン人のISのメンバーと結婚して子どももいたのだが、2014年には家族でシリアに密航してしまう。IS掃討作戦で、2019年に、アマンダは死亡するが、8人の子どもが残され、難民キャンプに収容された8人のこどもを、パトリシオじいさんが連れ戻すという話だ。
 パトリシオの違和感は、実は、彼はチリからの移民でミュージッシャンだということで納得した。つまり彼はラテン系だったので、この重たいテーマの中でもなんだか、違うリズムを持っている。きっとうまくいくんだろうという根拠のない希望を私に与えた。

イスラム国がやってきた


 2014年、イスラム国が、モスルを陥落させたときは、北イラクのクルド自治政府の首都アルビルにいたが、街中は直ちに避難民であふれた。こういう時は、何でもできる事をしなくてはと思い、友人たちと一緒に、パンや水を配ったりした。「イスラム国」は領土を拡大しようとしていたので、クルド自治政府は前線で彼らの侵入を食い止めながらも失地回復を求めて戦っていた。タクシーに乗るとラジオが毎日前線での戦いを中継していた。

避難してきたヤズィディ教徒のこどもたち 2014年7月


ただ、私の主な仕事は、小児がんの子どもたちの支援だった。
モスルの病院にも薬を届けていたのだが、ドクターたちが無事なのか、子どもたちはどうなのか、心配だった。やがて連絡も取れなくなり、いや、彼らの身の安全を考えると連絡を取らないほうがよかったのだ。一方で何も持たずに、モスルやシンジャールから逃げてきたがん患者には、経済的な支援が必要だった。
日本のメディアの報道は、イスラム国がいかに悪魔であるかを興味本位で伝えてるだけで、人道支援にはあまり関心を示さなかった。TVクルーが取材したいというので、小児がん病院を案内したことがある。「ここには、イスラム国に襲われて怪我をしたこどもはいないのですか?」「いや、がん病棟なんで」と何回言っても、彼らは怪我人を探していた。
シンジャールから逃げてきたヤジディ教徒の13歳の男の子は、骨肉腫で左腕を切断していた。TVにとっては、絵になるというわけだろう。インタビューが始まり、「君は、イスラム国がすきなのかな?イスラム国に入りたいと思う?」と聞きだしたものだから、彼は悔しくて泣いてしまった。そんなクソみたいな質問をなんでこの人はするのだろう。彼の家族は、レイプされ、殺されているかもしれないのに。取材に協力せざるを得なかった私も恥ずかしかった。
こんなこともあった。病院の医師にインタビューしている最中に、看護師が真っ青な顔をして、「先生、早く来てください」と呼びに来たのだ。TVのクルーはここぞとばかりに追っかけようとしたとき、看護婦がブチ切れた。「撮らないで!」
カメラマンは、まともな人だったので、ディレクターがなりふり構わず行こうとするのを、説得していたのを思い出す。

イラクの小児がん支援を行ってきて、あまりにも救えない命がたくさんあった。特に避難民の子ども達の多くがなくなって行った。
写真は、モスルから病院に通っていたオマル君。ISが人を殺すところを見てショックを受けていた

 イスラム国の支配地域の変遷 2013-2021

なぜイスラム国ができたのか 


 イスラム国が、建国宣言を行った時、スンナ派の人達の中には、もしかしたらイスラム国こそが、汚職と人権侵害をくり返すイラク社会を立て直すかもしれないという期待もあった。米軍は、2003年のイラク戦争で、サダム・フセインがスンナ派だという理由で、スンナ派=テロリストと決めつけて、ファルージャやラマディでは「テロとの戦い」を続けていたが、気が付くと米兵が家宅捜査で入った家の少女をレイプしたり、アブ・グレイブ刑務所では、拷問が娯楽のように行われていた。当然住民たちの反米感情は高まり、アル・カーエダの反米テロを支持する人たちも増えていく。シーア派のマーリキ政権にとっては、米軍のスンナ派=テロリストという考え方は権力基盤を固めるうえで好都合だった。自らもスンナ派の弾圧に乗り出していた。気が付くとイラクは内戦状態になってしまった。あまりにひどい状況にイラク人達はうんざりしてしまう。もともとシーア派もスンナ派も気にせずに仲良く暮らしていたではないか?婚姻関係を結んでいる夫婦もあった。アメリカもスンナ派=テロリストという考えを改めて、挙国一致で治安を安定させようとスンナ派の自警団を支援した。結果、治安は著しく回復し、2011年には、アメリカも軍隊を撤退させて、占領に幕を下ろしたのだった。
 イラクを追われたテロリストたちにとっては、内戦で混乱するシリアに居場所を作るのは簡単だった。一方イラクはというと、アメリカ軍が撤退した後のマーリキ政権は、再びスンナ派への弾圧を開始した。アメリカがいなくなり、マーリキはやりたい放題できると思った。シーア派の国会議員には、テロに関与した疑惑をかけて死刑宣告をした。アンバール州の抗議のデモには、「イスラム国」がいるという口実で弾丸を撃った。「イスラム国」は、住民の抵抗を受けることなくアンバール州を占領できたのである。

イスラム国からの解放

 私は、イスラム国から逃げてきたヤズィディ教徒のおばさんと知り合い、彼女自身が小さなNPOをやっていて、レイプされた女性たちの救済を行っていた。それで、私たちも協力して、妊娠しているかどうかの検査とか、性感染症の薬の支援を行った。毎回、妊娠しているかどうかの結果は、ハラハラさせられた。もし堕胎できなかったらどうする?そんな話を仲間としていた。幸い誰一人妊娠している人はいなかった。

2016年9月、イラク軍のエスコートで解放されたモスル近郊の村を視察。廃墟と化した村にに凝った学校に避難民が暮らしていた
イスラム国は2015年バス一台分の老人とこどもを、クルド自治政府と交渉したうえで解放した。解放されたばかりの人達から話を聞く 


 多くの話を聞き「イスラム国」への怒りを覚えた。しかし、安易に「イスラム国は、悪魔だ」と言って笑っている日本人にはもっと違和感を覚えた。悪魔は、イスラム国に限ったことではなく、日本社会に、根深く存在するいじめや差別、パワハラといったものが生まれる根源は同じ気がする。スウェーデンの社会はよくわからないが、アマンダも、何らかの息苦しさのようなものを感じてシリアに向かって行ったのだろうか? 2017年7月には、モスルが解放され、数か月後にはシリアのラッカも解放された。12月にはほぼ「イスラム国」は壊滅状態になった。

モスルはイスラム国から解放されたが、激しく破壊された。

シリアに行く

2018年5月 21日にシリア政府軍は、激しい戦いの末にダマスカス南部からISを駆逐し、首都とその近郊を完全に支配下に置いたと発表した。これはダマスカスに行くチャンスだった。
9月のはじめにダマスカスを訪問した。町を行く人達は、戦争が去った開放感にあふれはしゃいでいるようにも見えた。国際見本市も開催し、本当に、あのニュースで見るシリアなのかと疑った。むしろ20年以上前に私が住んでいた頃のシリアとほとんど変わっていない懐かしさすら感じた。それでも東グータ地区を案内してもらうと、もう町そのものが破壊されつくされ、モスルと同じような状態になっていた。実はこの時ジャーナリストの安田純平氏が2015年からイドリブあたりで拘束されていた。私は、妻である歌手の深結さんに頼まれて”救出する会”を手伝っていたので、シリア政府ルートからの救出方法はないのかという選択肢も調べていた。シリアの外務副大臣と面談したが、「情報をつかんでいない。政権支配地域ならば協力できるのだが申し訳ない」と言われた。
イドリブに総攻撃を仕掛けるのではないかという噂もあり、安田さんが巻き込まれる可能性も心配していた。
帰国してからも弁護士と戦略をたてながら情報収集をしていたが、事態は急転して10月23日に安田さんは解放された。その時の喜びを思い出しながら、映画を見守った。

 アマンダが米軍の空爆で殺されたのは2019年の1月だった。すでに「イスラム国」は壊滅状態だったので、テロ・グループとして、逃げまわっていたのかもしれない。

町全体が破壊されたシリアの東グータ地区
少なくともダマスカスには砲弾が飛んでくることがなくなったことで、人々は開放感にあふれ夜でも人でにぎわっていた。

ともあれ、アマンダの子どもたちは、生き残り、パトリシオの努力の甲斐があって無事にスウェーデンに連れ戻すことができた。この子たちには、果たしてどのような運命が彼らを待ち受けているのか?皆がこの子たちに優しく接するとは思わない。アマンダのようにまた息苦しさを感じることになるかもしれない。強く生きてほしいと思う。イスラム国を作り上げたエネルギーは悪魔だ。そしてその悪魔は、誰もが持ち備えている。人を支配したいという欲求、人が苦しみ、悶えるのを見たい、グーの音も言わさずにねじ伏せてやる。そういうことに人は喜びを見出す。イスラム国は、そういう人間の本性を利用したに過ぎない。だから歴史はくり返すのだろう。そんな風なことを考えているともう人類に希望なんて何も見いだせないのだが、パトリシオの素朴な人柄が、このどうしようもない世界を救っている。孫への純真な愛は、ほほえましいだけでなく、人間のもう一つの本性でもある。

映画上映情報はこちら https://unitedpeople.jp/coe/scr




 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?