アジアカップでパレスチナを応援しなくてはいけないわけ ガザ出身の選手ワディの苦悩
2024年、来週には、カタールでサッカー・アジア杯が始まります。日本代表はここのところ強すぎて負ける気がしないせいか、盛り上がりにもかけている。ヨーロッパリーグが開幕中とあって、なんでこんな時期にと批判的な声も聞こえるし、先日のワールドカップ予選の対シリア戦では、地上波の放映権をめぐって、結局TV中継なしに。前回のアジアカップではガイドブックも発売されていたのに日本が強すぎると人気も陰ってしまうということでしょうか?
しかし、今回の注目は、戦闘が続くガザ。すでに2万人以上が殺されるだけではなくて、イスラエルの非人道的な ”やり方”に批難の声がとどまらない。昨年の12月26 日、イスラエル軍がスタジアムを占拠し、パレスチナ人を捕虜にして辱めを与えている映像が出回った。サッカー場がこのように使われることに憤りを覚えます。パレスチナ・サッカー協会は、
「イスラエルのファシズムの最新の例として、占領軍はガザ地区のヤルムークスタジアムを侵攻した際に恐ろしい映像を我々に見せ、そこを拘留所に変え、そこで我々国民を虐待し尋問した。すべての規約に対するこの露骨かつスキャンダラスな違反は、選手の殺害や逮捕を含むパレスチナのスポーツに対する長期にわたる一連の違反にさらに加わる。これは国際的なスポーツ機関が容認し、沈黙させ、無視することのできない犯罪だ。ガザ戦争は「スポーツと若者」の運動に大混乱をもたらしたと付け加えた。同氏は、イスラエルのスポーツ違反を列挙した戦争開始以来、サッカー選手55人を含むパレスチナ人選手85人も殺害された。この数字には、18人の子供と37人の十代の若者が含まれている。」という。
FIFAや、IOCは、まさにこう言った蛮行にも厳しく対処していく必要がある。
それでも、サッカーをあきらめない
もう、サッカーどころではない。日本人はそう思うだろう。パレスチナが優勝する可能性は極めて少ない。電気もない、TVも吹き飛ばされている。そんな状況で、パレスチナ人がサッカーを楽しめるのであろうか?
今回ガザ出身の選手も2名参加するようでカタールにすでに到着したようだ。
カタールは、今回のアジアカップを特別なものにするといい、チケットによる収益をパレスチナ、ガザの為に寄付をすると宣言した。
FWのマフムード・ワディの記事が出てたので抜粋して訳しました。不条理な嫌がらせで、プロのキャリアが終ってしまう。
「友人、ガザの人々はサッカーを見る必要があります。なぜなら、それは彼らを現実の生活を忘れさせることのできるささいなことの一つだからです。ガザの試合に行くと、本当にたくさんのファンに会います。」彼が語るこの「小さなこと」は、イスラエルによるガザ攻撃が続く中で、ますますどっちでもいいことに思えるが、11月21日、パレスチナがワールドカップ予選でオーストラリアと対戦した時のこと。
「3日前に母に電話したら、よくトレーニングしてよく眠って、母のことは考えないようにしてほしいと言われました」と28歳のフォワードは言う。「『あなたには続けて成功してほしい、それが私たちを幸せにさせてくれるから』と彼女は私に言いました。」
母親のメッセージにもかかわらず、ワディは「サッカーのことを考えるのは簡単ではない」と認めた。
同じガザ人でアジアカップに招聘されたモハメド・サレハの家は破壊された。ワディは自分の家族(48時間連絡がなかった)のことを心配し続けている。
「ガザでは人々が刻々と殺され、爆撃されています。トレーニング後、会議や食事の後は部屋に戻ってニュースを見ます。何が起こっているかを知るためです。」エジプトに拠点を置いているワディだはシーズン終了ごとにガザに戻っており、ガザの魅了についてもかたった。
「友人や家族に会うためにガザに行くのが大好きです。サッカーをしに行ったり、ビーチに行ったり、友達と夕食を食べたりします。私はアブ・アル・サウード(カフェ)のデザートを食べます。それはガザで最高のクナーファです。ガザ中心部のカゼムでよくアイスクリームを買ってきました。しかしそれらは破壊されてしまった。」
11月21日に行われたオーストラリアとの予選では、オーストラリアの取り分の一部がガザでの救援活動を支援として寄付された。パレスチナは紛争のため2つの強化試合がキャンセルになったが、チームの外国拠点13選手団のもう一人であるDFモハメッド・ラシッドが語る。「(アジアカップに出ることは)世界の人々がパレスチナ人を、他の国と同じことができる人々がいる国として見てもらえるのに役立つ。私たちが、強力なパフォーマンスを行うことが重要性なんです。」
パレスチナ代表は2019年以来、本拠地でプレーしていない。ワディの場合、彼の家族は彼が国のためにプレーする姿を直接見たことがない。「彼らはパレスチナ人であるため、旅行は彼らにとって非常に困難です」と彼はいう。彼自身もサッカー選手として、イスラエル当局による制限を免れなかった。
ワディは、ヨルダン川西岸プレミアリーグのアル・ハリ-ル(ヘブロン)でプロとしてプレーするために、ガザにあるアマチュアクラブ、イティハド・ハーン・ユ二スを離れる許可を得た。2015-16年のことである。ガザ人として、彼は西側と西側の間を自由に旅行することができなかった。「西岸の都市 もどこにも移動できませんでした。家からピッチまで往復するだけでした」 – そして、アル・ハリールがガザカップの勝者と対戦し、パレスチナ・チャンピオンシップを決定するためにガザに旅行したとき、彼はもう西岸に戻る許可を与えられなかったのです。往復の旅行許可を持っていたにもかかわらず。
「チームと一緒にヨルダン川西岸に戻って、続けたかったのです」とワディは言います。アル・ハリールでの彼のキャリアは突然終わった。
別の例としては、ある国際試合のためのわずか 24 時間の訪問でした。「私は1日だけの許可をもらいました。試合前の最後のセッションでトレーニングをしてから試合に出場したのですが、戻らなければなりませんでした。」それでも彼は幸運な人の一人だ。「一緒に、あるいは対戦してプレーした選手たちが殺されたり、怪我をしたり、家が破壊されたりするという話を何度も聞いたと言う。
[ガザの人たちは、どのように人生を続けていくのでしょうか?彼らはどこにいますか?仕事はどうなっているのでしょう?彼らはどこに住むことになるのでしょうか?彼らには家もどうなっているのでしょうか?彼らはキャンプで暮らすことになるのか?もう冬が来ていて、雨が降って何もかも濡れてしまいますが、彼らは服を持っていません。」
イスラエル軍が長年続けている占領政策は、テロとの戦いとは程遠く、人に対しての嫌がらせ、辱めであり、その結果が怒りとしてテロを生み出している。この悪循環をどうやったら断ち切ることができるのか。こんな状況でもサッカーを続けること。『あなたには続けて成功してほしい、それが私たちを幸せにさせてくれるから』ワディのお母さんの言葉がしみいるのだ。
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