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すべてがOKな場であるには。

先日、大きなイベントを開催して、終了後にスタッフで話していたとき。

しっかり決めて大きなイベントをやって、みんなが無理して疲弊してしまう、というのでないやり方でうまく進められたのがいいよね、とか。
みんなが連携してうまくかみ合ってスムーズにできたよね、とか。

そんな話が出て、ほんとそうだな、すごいいい感じでいれたなとしみじみ思った。



もちろん、滞りなくうまく進められたのは、スタッフだけでなく、共催の方々が会場も機材もめちゃくちゃ完璧に整えて進めてくださったという、その協力あってのものではあるけど。
それはそれとして、スタッフみんなの、それぞれ臨機応変に動いててうまくかみ合う感がすごくよかった。

がっちりと決めて動いてるのではないのに、ざっくり分担して後は各自で!くらいで、めちゃくちゃスムーズだった。 
イベント自体の空気感もあるけど、みんなも会場全体も「いい感じ」だったと思う。

このイベントのすばらしさも含め、でもそれだけでなく、その場にいれたよさ、充実感が大きかった。

イベントの準備でも直前打ち合わせとかでも、みんなが自然と、できることをやって思うことを言って、いい感じに決まっていくことが多いと思う。
これが必要だよね、これもできたらいいね、こんなこともできるかな、とかがなんとなく出てきて。
やりたいって言ったり、得意そうだからお願いってなってたり、できるからやるよってなったり、さくさく進む。
やってみたかったら言えるし、思いついたままに言える。

できるかどうか、どんな風にやるのかとか細かく詰めたりせず、それぞれにまかせる感じがある。
まかせるけどまかせっぱなしではない、そんな感じ。
必要なら都度相談したら大丈夫、というような暗黙の安心感かな?

多分、うまく行かなくても責められないし、フォローしてくれたりするのだと思う。
でも、だからといって、きっとフォローしてくれるとか、うまくいかなくてもいいとか思うわけではなく。
それらを期待しながらやるわけでなく。

単に、やりたいから、やったらいいと思うから、やるとおもしろいだろうから、くらいで手をあげたり引き受けたりできて。
ただそれをやるだけ。
フォローしてもらえる、フォローできるとか、うまくいくかどうかとかは、そこについてくるだけ。

だから、できることをやって、やってみたいことをやるだけ。
っていうのがベースで、お互いに補完してうまくまわるように思う。

単に私が助けられる立場だから余計に思うだけかもしれないけど、でも少なくとも私はそうだった。
誰かに頼ろうとも、自分でなんとかしなきゃ感も、特にないまま、とにかくできることをやっていたし、そこに何も不安や緊張がなかった。

いい感じだったよね、という話を受けて、
「決まったことがあって逆算して進む確実さもあるけど、がちがちに決めないままだからこそ、それぞれが力を発揮してスケールする可能性がある。
確実性はないけど、わからないからのおもしろさがある。」
というようなことを言っていたら。

「そういうのいいと思うし、もしそれでうまくいかなくても、それは自分で引き受けるつもりでいる」
「でもそれだと不安な人もいるから、ある程度決めたら説明したりも必要」
という感じのことを、代表の方が言っていて。
そういうのが土台にあって、この「いい感じ」が生まれるのかなと思った。

何をしてもどんな結果でも全部OK、みたいな安心感。
信じて任せて、受け入れて、否定や批判がない、安全な感じ。

代表者という、場をホールドする人が、そういう意図でそこにいること自体の力が大きいなぁと思った。
そういうのが、言わなくてもみんなに伝わってるのだろうし、みんなにもあるのだろうと思う。



ほんとにいつも自由で楽しくいられていいチームだなぁと思うし、その中にいれてよかったと思うし、みんなに支えられてありがたいなと思う。
組織の形として私的には理想なのだけど、でもきっとその理想も更新されるのだろうなという、これからもおもしろくなるのだろうと思えるところがほんと好きで楽しみ。

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