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考え続けられる問いかけ。

先日、問いかけられて、答えてはみたけど、答えたことが本質ではないように思えてもやもやしている。

「何が」って言ってしまうとなんか違うけど、でも「全部」っていうのは相手にとって答えにならないし、「何が」とわかるように説明しないと伝わりにくいのもわかる。
どういう答えにしたら1番しっくりくるのだろう?という点、あとから考えても答えは出ない。

違う答えをしていたら、相手が受け取るものも違うはずで、セッションが違う流れになったのではないか、とも思わなくもない。
ただ、そのときピックアップした部分は、一部ではあったけどもとっさに出てくるくらいの何かが自分の中にあるものなんだろうとも思うし(単に説明のしやすさかもしれないけど)。
少なくとも今回のセッションでは、違う答えをしたところで大きな流れは変わらなかっただろうとも思う。

あとから思い起こして考えてしまうような問いは、いい問いだなぁと思う。

その場で考えや視点を変えてしまうようなものも、いい問いだと思うけど、それとは全然違うよさ。
何かを変えるような問いって、その場でお互いにもしくはみんなに、変わったのがわかるし、問いの結果だとぱっと一瞬でわかる気がするのだけど、あとから思い起こすようなのは、じわじわよさや強さを感じる気がする。

答えが出るかとか、そのときの答えがすごくしっくりくるとか納得するとか、そういうの関係なく、考え続けてしまうとか、なんかひっかかって覚えているとか、そういうのが、おもしろい問いだと思うんだよな。

ひっかかって考え続けたり、もやもや感が残ってふと思い出したりするのが、いつかなんかのタイミングで、答えらしきものにつながったりする。
何かのきっかけで、新たに考えることにつながっていったりする。

問いかけることでの、意識がそこに向くよさというのがあると思う。
意識がそこにあれば、その後でちょっと忘れたりずれたりしても、そこに意識があったことが残り続けて、何かにつながっていくのだと思う。

すぱっと答えが出るとか、その場で大きな驚きやおもしろいものが出てくるとかも、楽しいけど。
逆に、答えが出なかったから気になり続けるとか、しっくりこない納得はしてないとかでもやもやし続けるとか、そういうときの方が意識が向いたままでいられる。

意識が向いたままで、気になっていつつ、そのまま考え切らずに忘れたりもするのだけど、何も考えようとしないでいるのと、意識をそこにおいてそのままにしておくのと、似ているようで全然違う。
いったん問いを考えようとしたら、ふとしたときに答えにつながったり、答えよりも先のことになったりする、そういう何かがある。

確実ではないけど、その方がそのときに無理に考え出したりまとめたりするよりも、ほんとに必要な何かが出てくる気がして、だからそんな何か考えたくなることを残す問いっていいなと思う。

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