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「どうしたらうまくいきますか?」って聞きたいときは。

「どうしたらうまくいきますか?」
っていうようなことを言う人がよくいるけども、そういう風に聞いてくる時点で、「うまく」はいかないのではないかと思ってしまう。

(というのが、この記事で引用した記事のタイトルだけ見て思ったことだった。)

それは、想定外の何かが起こるようなことであっても、そうでなくても、結構なんでも。

さすがに「どうしたらうまくいくのか」というようにストレートに聞いているのはあまり聞かないけど、
「どのように進めますか」
「具体的にどうしたらいいですか」
「たとえばどんな例がありますか」
などと、何か明確なことを聞き出してそのとおりにしようとする人って結構いる。

だけど、「どうしたらいいの?」って思うようなことって、そもそも正しいやり方とか決まってなかったりして、それを考えてみるのも込みでやってみてほしいとか、試行錯誤してみてほしいとか、そんな風に思われてることじゃない?

進め方だとか手順だとかが明確に決まっているものは、だいたいはその決まっていることを提示されてそのとおりにやるように指示されたりすると思うのだ。
だから、そういう何かを提示されていないなら、自分である程度自由に考えてみていいと思う。

というか、もし、自分で考えて決めてもいいと思われていること、でなくて、自分で考えて決めることを期待されていること、であるなら、「どうしたらいいのか」を聞く時点で、期待に応えられていないことになってしまう。

それは、「うまくやりたい」と目指す人にとっては、「うまくいかない」ことになってしまわないかな、と思って。
確認して正しそうなことをやれば間違いではなくなって、「うまくいかない」ことはなくなりそうだけど、無難に進めることはできそうだけど、求められているのはそれではないのだ。多分。

失敗しないのも大事ではあるけど、間違いではないのよりも、試行錯誤した結果な大事なこともある。
結局は「失敗」みたいなのも、こうしたら思うようにならなかったというデータのひとつでしかないし、プロセスを知ることが必要だったりもするよね。


あれこれ自分だけで決めて進めるのは苦手だとしても(勝手に判断したらだめなこととかもあるだろうし)、せめて、「こういう風に進めるのでいいですか?」くらいの確認のしかたができるといいのではないかと思う。

それだったら、自分で考えることを期待されているならそれも満たしつつ、確認して安心もできるのではないかな。


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