がんばる、ってなんだろうね?
あれやこれやとやってつかれてたりして。なんでこんなにがんばってるんだろう?なんでつかれるまでやってるんだろう?って思ったりする。
でも、がんばってる、つもりでいるけど、そもそも「がんばる」ってなんだっけな?ってふと思った。
別にたくさんのことをやるのがいいわけでもないし、つかれるまでやったらいいわけでもないよね。
もちろんたくさんやることが必要なときとか、限界までやらないといけないようなときもあるけど。
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「がんばる」でイメージするのは、たとえば、がむしゃらにやるとか、いろいろチャレンジするとか、工夫や努力をするとか、あきらめずにやるとか、そんな感じかと思う。
自分の限界までとか、ほかの人がやらないレベルまでとか、そういうのもかな。
「がんばる」のはいいことのように思われていると思うのだけど、「がんばる」ことが結果につながっているとは限らない。
結果を求めるなら、がんばっているかどうかに関係なく、軽々とでも何も努力も工夫もしなくても、さくさく結果出せる方がいいはずだ。
何もがんばらないよりはがんばってみた方が結果が出る可能性はあるけど。
でもがんばってつかれたり限界でほかに何もできないくらいになってやっとできる、というよりも、さくさく結果出してほかのこともどんどんやれる方が結果としてはがんばってるよね?
ぱっと見は、軽くこなしてしまうよりも、いろいろ試したりあきらめなかったりする方ががんばっている感じがすると思う。
その軽くこなすのは、それまでな工夫や努力の結果かもしれないしのに、そういうのも見えなくなると思う。
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本来の意味はなんだろうと思って調べてみると、広辞苑では
1 我意を張り通す
2 どこまでも忍耐して努力する
3 ある場所を占めて動かない
という三つの意味があるらしい。
よく使われる意味、今回考えたい意味は、2のはずなんだけど。
「どこまでも忍耐して努力する」っていうとなんかよいイメージにとらえられるように感じるけど、ほんとによいイメージなのかは疑問かもしれない。ほかの意味考えると「忍耐」のところに重きがありそうな。
で、努力とは、「目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。」と、同じく広辞苑の定義にある。
「目標実現のため」ではあるけど、結局目標実現するのかに関わらず「心身を労してつとめる」「ほねをおる」がメインな気がする。
結果と結びついてる感じがしないのが、もやっとするところかもしれない。
ただ努力することだけに意味があるのか?という。(その人の成長のための意味はあると思う。努力の仕方次第と思うけど。)
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自分の場合、ほしい結果が取れてないから、なんでがんばってるんだっけ?ってなるし、そもそもこれはがんばっているんだっけ?ってなるのかも。
でも、結果につながらないから、がんばっている(努力はしている、忍耐、ほねをおる感)と感じるともいえるのかも。
何か手ごたえあるとか満足できるようであれば、がんばっていると思うのかもしれないし、逆にがんばるとも感じないのかもしれない。
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