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「あなたのために」は「自分のため」

この記事を、まずタイトルだけ見て、それは「自分のため」「自分への愛」じゃない?って思った。

子育てにおいてでも、それ以外の場合でも、自分がいいと思っていることを押し付ける形になると思うから。
あなたのために、と言いつつ、その相手の意見を聞こうとしないことが多いから。
そもそも「言ってあげている」という時点で上から目線だし、対等ではないなと思って。

こちらの記事では、子育ての際の話で、子供の将来を決めてあげる親の問題について書かれていたけど、子育てに限らず同じことが起こると思う。

学校でも会社でも、こうすべきだ、こうしなさい、っていうのが多くて、考える力が奪われていると思うし、自分で考えさせないようなしくみの中においておいて、自律的に動くようになどと矛盾したことをいう。
結果的に、せいぜい、自律的風にルールに沿って動く人が増えるように思う。

自分がいいと思うものを薦めたい、というのは、思いやりや愛なのだと思う。
少なくともスタートはそこにあるだろうと思う。

いいと思ったら、それを知らない人に伝えたい、広めたい、っていうのはわかる。
私だって、いいなと思うものは、合いそうな人には薦めたりする。

でも、行き過ぎると、正しさの主張になるし、押し付けになる。
いいものはいいけど、人によっていいかどうかは違うものだし、いいからといってそれを選びたいかはわからない。
人の価値観もやりたいこともそれぞれだから。

「言ってあげる」「教えてあげる」などとなっているときは、自分が正しくて、それを認めさせたいというようにも見える。
もちろん、自分がいいと思うことだから、それを勧めたいっていう気持ちはあるのだと思うけど、認めさせて実現させることで、自分の正しさを証明したいようにも思う。
意識してというより、無意識のうちに。

あなたのためと言いながら、自分の正しさを広めたい、認めさせたい、証明したい、っていう「自分のため」で「自分への愛」が入っていると思うし。
押し付けが大きい人は、認めさせないと自分の価値観や自分が否定されるように感じているのではないかと思ってしまう。
自分を認めたいから、自分の価値観を共有して共感して実現してほしいのではないかなと。

そもそも、親にせよ上司や教師など指導する側の人にせよ、先に生まれていろんな経験をしているのはわかるけど、それで先がわかる正しいものがわかるというのはおこがましくないかと思う。

子供の方がわかっていることだって、子供だから見えていることだってあると思うし。
人によって何がいいかも違うのだし。
未来がどうなるかなんで誰にもわからないのだし。
いくらそれまでの経験があっても、今この瞬間っていうのは誰にとってもはじめてで、似たような状況や条件であっても同じ判断がベストかは限らない。

未来がわからないからこそ、また、多様な世界だからこそ、自分に合うものは自分で見つけるのがいいし、自分のことは自分で決めれるのがいい。
社会全体としてそれを求めているはずだと思う。

「言ってあげる」(だからそのとおりにしなさい)っていう態度は、そういう、自分で選んだり考えたりする機会を奪っていて、必要な力を鍛えられなくするやり方だと思う。
いくら丁寧でよく考えてあげてても、優しそうであっても、結果が優しくならない。

一見厳しそうでも、自分で選んで考えるをやっていく方がいいはずで。
それは子供の頃とか若い頃とか、失敗しても大丈夫で失敗できる余裕が大きいうちからできるといいと思う。

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