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「厳しい」ってなんだろう?

今日リアルでははじめてお会いした人と話していたときに、あまりにも何度も
「きついこと言っててごめんね」
というようなことを言っていて、それが不思議というかおもしろいというか気になっていた。

そんなに言うほどきつくなくない?って気もするし、SNSなどでの発信そのままな気もして。

まぁいきなり関係性もなく言われたらきついと思うし、アドバイス求められていないときに言ってしまうといらっとされるかもだし、アドバイス求めていても落ちてるときに言われたらへこむだろうと思う。

でも基本、事実とか客観的意見とかほかの視点からの見え方とかそんなのを言ってるだけで、傷つける言い方をするでもなく、悪意があるとかマウント取りにきてるとかのいやな意図とかも感じない。
事実だからきついっていうのもわかるし、ふわふわしたことを言う人やオブラートにくるみすぎる人とかが多い中で、ストレートな言い方だと目立ちそうとも思うけど、それは嘘やごまかしがないだけだとも思う。
印象としては、SNSで見てるのと同じく、冷静でぶれなくてまっすぐな感じ。



確かに言われてぐさっとくるものもあったけど、それは私の問題だよなぁと思った。
見たくないところとかを見せられたり、見えてないという事実を突きつけられるから、認めるのがきついということだ。
言われた内容とか言い方の話でなくて、自分の受け止め方とか受け入れる覚悟とかの話だなぁと思う。

ずっと話していたら、自分の浅はかさとか適当さとか言い訳だらけなのがあらわになりすぎてしんどくなるかもなぁという気もするし、理論的に話すから逃げられなくなりそう(納得せざるを得ない)のもしんどくなりそうかなぁとは思うけど。
それを求めたいかどうかも自分が決められることだから、別に相手のせいじゃない。

聞いててきつく感じることを言うのは、一見厳しいようだけど、むしろ丁寧だなぁとも思う。
当たり障りないように、事実をつきつけすぎないように、いやだと思われないようにする方が楽じゃない?

事実が見えているのに、特に言わずにほっとく方が、どうなってもいいじゃんって感じで根っこではきついようにも思う。
話してるときにいやがられない方を選んで、先々を見るのを避けてるように思う。

だから、わざわざ厳しそうなことを言う人って結局やさしいんだよなぁと思っている。
(悪意や自己中できつい人ももちろんいるけど、それは「厳しい」ではないよなぁと思う。)

てことでやっぱりリアルで会えて話ができてよかったなと思っているところ。
(こんなふうに思うからいつも、厳しくやさしい姉御系の方には弱いんだよなぁ…)

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