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置かれた場所でどう咲くか?

先日、部署内でのキャリア支援をしている方々と話していたときに、
「相談に乗っている若手がキャリアプランを立てられない。
 これまでどこででもどんな業務でもやりがいもってやれたということで、特に目指すものがなく、見つけさせるにはどうするのがるいいか?」
というようなことを言っていた方がいて、それについて
「置かれた場所で咲くタイプで受け身な人なんだな」
っていうような話が出ていた。

それを聞いて、「置かれた場所で咲く」のがなんでよくないようなジャッジなのかな?って思って。
それはほんとに受け身なの?
手をあげるとか目標を掲げるとかだけが自主的自律的ってことなの?
そうではないと思うので。

どの部署でもどんな業務でも、満足できたりやりがいを感じて働けるというのなら、それ自体が強みでもあるのだと思う。
受け身なのではなくて、目の前にあることを、自分の満足できる形になにかしら変えていっているのではないかと思う。

(もし、たまたま興味があり満足できるところにばかり配属されているのなら、それはそれで何かしら強みが発揮されているようにも思う。無意識にでも合うところを選べるような選ばせるような何か。)

ただ受け身なだけで、何もかも待っているだけで、勝手に満足できるように用意されるわけはないので。
与えられたことをやっているようで、与えられたままではないのではないかな?と想像する。
勝手な想像であって、確認しないとわからないけど。



また、業務内容ではなく、満足する条件などが別にある可能性もあるだろうと思う。

どんな部分にやりがいを感じるか、どんな方向性を好むのか、などによって、求める環境とか条件が変わってくる。
望ましい環境や条件がそろっていたら、満足できる人もいるだろう。
また、内容よりも成果とか評価の方にこだわる人だっているだろう。

そういう場合、具体的にどんな業務がしたいのかなどを問われても、明確な答えは出てこないと思う。

だから、自ら計画立ててほしいものに手を伸ばすということだけが、自律ではないのだ。

今いるところが満足できないのであれば、ほかに望むところがあれば、計画的に自ら望む方向に進めるようにしていくのもひとつの手段だけど。
今いるところを好みに変えていくっていう手もあるし。
とりあえずここでやっていこうと決めてやってみたら、不満だったはずが満足するようになっちゃうことだってある。

どんな選択肢であっても、それは自分で決めて選んだもので、自分で選んで自分が満足できるようにつくっていけたらそれでいいのだ。

置かれた場所で咲くのでいい。
というか、置かれた場所でどう咲けるのかを考えて、咲いていけるっていいよね?
折れたり枯れたりせずに咲くための何かができているのだから。

なので、キャリアプラン描いてそのとおり進めたらいいよね、みたいなのとか、キャリアプラン描かせてしっかり進めさせよう!みたいなのとか、それはそれでいいのだけど、それだけがいいみたいなのはなんだかなって、いつも思ってしまうのでした。
そこは推進したい側ともっと話してみたいところだなぁと思う。

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