見出し画像

「書く」を考える。

大前みどりさん「書く」をめぐるインタビューセッションを受けた。

はじめに、なぜこれを受けようと思ったかを聞かれて、「書く」ことに興味あるし、「書く」をじっくり考えることってなかなかないし、人と話して考えることで一人で考えるのとは違ってくるかもしれないし、みたいなことを答えたのだけど、ほんとの目的はそうではなかったような気がしている。

ご本人にもお伝えしたんだけど、ただみどりさんと話してみたかっただけかもしれない。ちゃんとお話ししたことなかったし。
で、「書く」ということを話すとしたら、話してみたい方だなと思っていたような気がする。ちゃんと話したことないくせに。

だって「書く」ってことを考えようとしていなかったら、こんなセッションやらないだろうし。
毎日note書いていたり、その中でもいろいろ書くことを試している様子とか、書くことや書き方について考えたり学んだり練習したりしている様子とかがうかがえるし。

私も「書く」ではないけど「伝える」「表現する」ということについてはずっと考えていて(その中に「書く」も含まれるし、かなりの部分が「書く」であるとも思う)、答えはでないしずっと考え続けるのだとは思うけど、ほかの人はどう考えていてどう書いて(表現して)いるんだろうというのは気になるところで。
だから自分が話すセッションだけど、何か聞けるかも、垣間見れるかもという期待もあったのかもしれない。少なくとも、自分が話すこと、考えていることを、わかってくれるんじゃないかなっていう期待はあったような気がしている。

実際、「書く」ことについてを話してみて。
話したこと自体は、結構普段から考えていたり、最近ちょうど考えていたり悩んでいたりすることでもあって、思いがけないことが出てきたりっていうことはなかった気がする。
だけど、話してみるっていうことに意味があったかもと思う。頭の中にあるだけのときって、しっかり言語化できていないこともあるし、言語化できていても同じところでぐるぐるまわりがちなのだけど、話すときって言語化されるし、話が進むし。

あと、やっぱり、人の視点がはいるっていうのはすごく大きい。
考えが進むかどうかはおいておいて、別の考えが出てきたり、全然違うけど考えたいことが出てきたりもするし。
改めて気づくようなこともあるし。
(というのが好きで、自分が聞くことも好きだしよくやるし仕事でも聞くのがメインかなって思ってる。)

基本は話すのを聞いていただいていたのだけど、コメントいただいて、なるほどね!って思ったこともあるし、考えてみようと思ったこともあるし、自信ついたこともある。

みどりさんが印象に残ったって言ってくれたのは
「わかりやすく書こうすると、いい感じに書こうとすると、もともとの言葉のもっていたものが抜け落ちるような気がする」
というようなところ。
「生の言葉の説得力と重み」
というようなところ。

それは、みどりさんは、自分がフォーカスしているから印象に残ったのかもというようなこともおっしゃっていた。それもあるかもしれないけどやっぱりそこは私の中でもずっと気になっていて大事な部分。だから、それこそ「わかりやすく」でも「いい感じに」でもなくそのまま出てきた言葉で印象に残りやすかったりもしたのかもしれない、とも思う。

こういう感じを、わかる人とわからない人もいるよねとも言われたけど、確かにそのとおりで。
だから、この感覚が伝わって共感してもらえるだけでも嬉しい。

わかりやすさと伝わるということについて、かなり話していたのだけど、それもずっと気にしていることでもある。
気にしすぎでそこまで気にしなくてもいいかもなっても思うくらい。

で、それについて、「わかりやすくできるというのは、理解できているからだと思う」ということもおっしゃっていて。

それは完全に同意。同意なんだけど、そう思われないことも多い気がしている。思われないというか、そこまで考えて「わかりやすい」を見てもらえないというか。「わかりやすい」というのは、「わかりやすくなっている」というところだけ見られて、「わかりやすくするためのプロセス」は見てくれる人があまりいないようにも思う。個人的な感覚なので実際はわからないけど。見てくれないというか、そこを考えもしないという感じ?

だから「わかりやすくできるのは理解できているから」というのは、一般論として話したのだろうけど、理解できていないとわかるようにできないというのをわかってくれているというだけでも嬉しく思ったりする。

(と、ここまで書いてみて、どれだけわかってもらえない前提でいるのだ私、と思わなくもないのだけど。でもわかってもらってる感っていうのをあまり感じないのが事実だからしかたない…)

ほんとは「書く」「描く」というところより、わかりやすく表現する&組み立てられるための理解力のほうが武器なのだと自分では思っているから。

あとは、考えすぎてこねくりまわしてしまってなかなか文章が出てこないという点について、
「深く考えるということはいいことなのではないか、深く考える+それをフレッシュな文章にできるが組み合わさったらよいのではないか」
というような意見をいただいて。

考えすぎてあれこれ付け加えたり余計な説明したりは避けたいけど、表現や内容を悩むのはそのままでもよいのかもしれないと励まされた気分だった。
「考えすぎ」にもいろんな考えすぎがあるよなぁと、それをごっちゃにしてまとめて「考えすぎ」としているなとも気づいたし。

より伝わるようにするための「考える」とか、深く「考える」とかはいいもんね。無駄に考えるのをやめたらいいだけだもんね。

どう表現するのか、どうやってぴったりの言葉を見つけるのか、どうやってそれがほんとに書きたいことかどうか納得できるのか、みたいなところも、同じように悩まれているものだな、というのも、心強いというか。
別に同じように悩んでいるから安心というわけでなないのだけど。

答えなんてなくて考え続けるものなのだと思っているけど、やっぱ人の書いているものって軽々書いているようにも見えたりするもので、そうではなく何かしら悩みながら書いていくのだと、書きながらなにかつかもうとしているのだと、そうだよなぁと思える味方みたいな感じ?

「書く」をインタビューしながら答えを探されているようなのが、おもしろいなぁともかしこいなぁとも思って、何それ楽しそううらやましい!と思って、その結果を垣間見れることを楽しみにしている。

そしてまた話してみたいなぁと思う。話して答えがほしいからではなく、単に楽しいだろうなと思って。
セッションとしてでなく、聞いてもらうのメインでなく、ただ話してみたいし聞いてみたいなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?