偶然の出会いはなんで意図したのより嬉しいのだろう。
偶然だろうが必然だろうが意図したことであろうが、起こった出来事というのは同じもののはずなのに、なんで「偶然」って嬉しく感じるんだろう。
起こってほしいことが、偶然起こる方が、価値がある気分になる。
すごいことのように感じたりする。
そんなことない?
意図して、計画どおりに何かできた、って方が価値感じる人もいるかな。
必然的に起こるべくして起こるというのは、特に価値感じないように思う。
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ミッフィー阪急コラボ電車に、なかなか会えなかったのです。
せっかくだし、できたら見たくて。乗れないとしても見るだけでも、って思って。
でも、各線で1つずつしかミッフィー電車はいないらしくて、偶然会えるなんてめちゃくちゃレアだ。
調べたら、ミッフィー電車が走る時間は公表されていないけど、個人でミッフィー電車時刻表をつくっている人がいて。
さらに、その日の予定であれば駅で聞いたら教えてもらえる可能性があるらしい。
時刻表見て狙って見に行くべきか?もしくは駅で聞くべきか?
1日あちこち移動して全くかすりもしなかったし、聞いてでも見る価値があるかなぁと考えはしたんだけど。
結局どたばた乗り換えしてたりして聞かないまま阪急線にいた。
というか、最初から時刻表で見れる時間に合わせて行くってことをしないあたり、やっぱり、意図して計画的に会うとか、会えて当たり前みたいになるのでなく、偶然会えたっていうのを期待していたのかもしれない。
ほんのり期待しつつ、でも最終手段が聞くことかなって思いつつ、だけどそのときの予定で結構いっぱいいっぱいで、ちょっとミッフィー電車のことは後回しになっていた。
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そしたら、まさかの!
乗り換え時に目の前にミッフィー電車が!!
めっちゃテンションあがる。
乗り換えそんなに余裕あるわけではないのに、あちこち撮りまくってしまった。
慌てて撮ってるので撮り方雑すぎて、ちょっと切れたりゆがんでたりする…
どっちが先頭かなって思って、先頭のミッフィー運転手も見なきゃって思って撮りながらはじっこへダッシュ。
そしたら、はじっこの車両には神戸線ラッピングが!!
せっかくの絵が、ホームの壁に遮られてよく見れないのがかなしい。
けどかわいい。動物園な感じとか、西宮でみんなでベルの音聴いてるところ(?)のまとまってるところとか、のぞいてるミッフィーちゃんとか。
そしていましたよ!運転席のミッフィー!!
ミッフィーーー!!!かわいい!!
叫びたくなる気分で撮る。この服この色かわいいよね?
あまりにも急いでさっとしか見れなかったけど、それでもあらかた見れて満足。
ほんと偶然に、降りたところにいて、しかも発車まで数分あって見る余裕があって、一応見終わったくらいで電車は発車しようとして壁がしまりラッピング部分が見れなくなった。
このタイミングでないと、こんなに見れなかったんじゃないかな。
逆のホームとかからだったら、気づいて移動したりしてもここまで見れなかったんだと思う。
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めちゃくちゃテンションあがって、めっちゃ満足したのだけど。
これ、時刻表見たり見れる時間聞いてミッフィーに会える時間に行ったりしてたら、こんなにテンションあがらなかったと思う。
もちろん見れたら嬉しいのは確かなんだけど。
でもここまでの嬉しさではなかったのではないか。
偶然だからこんなに嬉しいんだろうな、って思うと、でもなんで偶然だと嬉しさが増すんだろうなって不思議に思う。
想定外だという驚きが足されるからかな?
だからといって、絶対見たいなら時間調べてでも見るんだろうと思うし(まだ期間あるから、またくる機会あるかなっていうのも今回はあった)、偶然だけを期待するほど楽観的でもないのだけど。
でもきっと、ほんのり偶然を期待してしまうんだろうなって思う。
なんで偶然を期待するんだろうね?確実に見れるのがいいはずなのにな。
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