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「君が社畜になるとは思わなかった」と言われた。

ベテランの方と話をしていたときに、
「まさか君がこんなに社畜になるとはね、思わなかったよね!」
と言われた。

社畜になっているつもりはまったくないのだけど。

「社畜」ってなんだろう?
何をもって社畜と言われたのだろう?

*

その方は、私が入社した頃の、配属時の教育などもしていた方で。
なので私が配属研修やる気なく受けていたり、研修の一環でPC組み立てしたのにうまく動かなかったり、ぎりぎりに来ては速攻帰るみたいなことしていたのも知っている。
当時は、機械苦手なのでPC組み立てとかありえないと思ってたし、苦手なことやわからないことらだらけだったし、希望した配属先でもなかったし。
なので、そもそもこんなに(20年弱)同じ会社にいるように見えなかったのかもしれない。

そういう意味ならわからなくもない。

ただ、逆に、特別なスキルがあるわけでもなく、特に何かになりたいというのがあるわけでもないので、別の会社に行くという意欲も選択肢もなかったというだけでもあるけど。
積極的に今の会社でがんばりたいと思って働いていたわけではない。

*

でも「社畜」っていうと、もっとネガティブな印象がある。
会社に飼われている、言いなりにる、みたいな。
そこまででなくても「会社のためにがんばっている」「会社に尽くしている」ようなイメージ。

冒頭のセリフの方は、いろいろ会社のためにがんばっているじゃない?という感じで言っていたと思う。

私は別に会社のためにがんばっているわけでもないし、がんばっているほどでもないのだけど。
そう見えるのはよいことなのかどうなのか。ほめられてるのだろうか。
私はそう言われても全然嬉しくないけども。

*

もしがんばっているように見えるなら、自分のためにがんばっているだけだ。
会社の中で、自分が関わる仕事の中で、自分がいやなこととか気になることをできるだけ減らしたいから。
自分がやることや関わることを少しでも自分の好みにしたいから。

そうする理由として、業務の効率とか負荷とかみんなが困らないようにとか、やりやすくするための建前はおいておくけども。
もともとはただ自分がそうしたいとかその方がいいとか思うだけ。自分が少しでも納得いくようにしたいだけ。
結果的に部署とか会社のためになることはあるかもしれないけど、がんばるのは自分のためだ。

こんな感じで、少しでも好みに、少しでもOKの範囲にとしているだけで、なのでがんばっているのとも違うかもしれない。

会社で働いているからって、会社のためにと思わなくていいし、自分のためになるようにと考えていいと思う。
自分のためだと考えにくいなら、まわりの誰かのためでもなんでも、個人的な理由でいいと思う。
それでがんばれるなら、がんばってないのにがんばってるくらい動けるなら、自分にもまわりにも会社にもいいことだよね。

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