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「こうしたらいいのに」と思うのは自分の問題。

「こうしたらいいって知ってるから、こうしなさいって言ってるのに、なんでしないんだろう?」

こういう風に思うこと、結構あるんじゃないかと思う。
親が子供に、上司が部下に、経験者が初心者に、など。
教えてあげる、導いてあげる、って思うようなときに、そうなりがちじゃない?

なんなら
「困らないように言ってあげてるのに!」
くらいに思う場合もあるのでは思う。
やった方がいいことをやらないから、させようとしてるのに、やった方がいいってわからせようとしてるのに、って。

そういうとき、した方がいいことをしない相手に問題がある、って思いがち。
相手に問題があるから、それをちゃんとしようとしてあげてるのに!って。

でも、それはその相手の問題ではない。

「相手に問題があるからなんとかしてあげないと」って思う自分の問題だ。
問題意識を持っている人が、そこにある事実を問題にしているだけ。

相手は別に問題に思ってないかもしれない。
困って問題だと思うときがくるのかもしれないけど、今問題と感じてないなら、その相手にとっては問題はないのだ。

「こうした方がいいのに!」っていうのは、「相手にこうさせたい」っていう、自分の希望で自分がしたい(させたい)ことだ。
相手がしたいことではないのに、相手が実現すべきことにして相手の問題にしたらおかしいよね?

だからといって、人にさせることが自分のしたいこと、っていうのも、変な話で。
自分のしたいことは、自分がやることだよね?
なので、「相手にこうさせる」というのが、自分の課題になるわけではなくて、相手がどうするかは相手の話。
「相手にこうさせると思う自分の気持ち」にどう対処するかが自分の問題。

たとえば、親が「子供に勉強させたい」と思って、勉強しない子供にもやもやいらいらしていたりする。
将来のためを思って言ってるのに、勉強しないと困るからそうならないようにと思って言うのに、言うこと聞かない!って。

でも、勉強するかどうか、勉強しなくて困るかどうか、というのは子供の問題。
困るのは子供が困る話で、親が自分の問題として困らなくていい。ほんとに困ると思ったら人はなんとかしようと動くと思う。
(もちろん、小さい子で自分で何かをできない場合とか、子供ができない範囲のことでのサポートは必要だけど。)

子供が勉強しないことについてもやもやいらいらする気持ち、は親の問題。
そのもやもやいらいらに困っているわけで、その気持ちをどう解消するか、どう向き合うか。
子供に言うことを聞かせることで解消させるっていうのでなくて、自分がその気持ちをどう扱うかってところ。

何が誰の問題なのか、切り分けて考える。

そうは言っても、子供のことだと、親の責任もあるし、サポートしないと子供にはできないこともあるし、完全に切り離せないから難しいわけなんだけど。

でも、問題を切り分けて、自分の問題の部分だけ切り離して考えるというのは、客観的に落ち着いて考えるためにもいいと思う。

切り分けたら解決する問題だけではないけど、もやもやいらいらして冷静に考えられないときだと見えないことが、落ち着いたら見えてくることもある。

相手の問題を自分がなんとかしようとしているうちは、相手も余計に困らないから(なんとかしてくれると思うから)動かないかもしれない。
だから、自分のためにも、相手のためにも、切り分けてそれぞれが自分の問題に向き合えるのがいいと思うのだ。

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