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「○○していいですか?」

会社で自主プロジェクトしている中で、何回も「○○していいですか?」って聞かれて、そのたびに「ぜひどうぞ」「やってみてください!」って答える。

答えながら、共催しているメンバーと、自由にしてくださいねって言ってるのになぁ、仕事じゃないし好きにやっていいのになぁ、って話していて、どうしたらいちいち許可とか確認とかなくやってみていいって思ってもらえるのかな?って考えている。

自主プロジェクトではあるけど、主催側の私たちのやりたいことがあって、それに共感や賛同してくれている人たちなので、意向に沿ってるかなど気遣ってくれているのかな、とも思うけど。
でも、確認して許可取って大丈夫じゃないとやったらいけないような、仕事の延長でのそういう習慣的なものが大きいかなぁと思ってしまう。

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仕事だと、上司や部署の意向にあっているかとか、なにか意図と違うことしてしまったら怒られたりしそうとか、自分の判断でやって失敗したら困るとか、そういうのあって、確認しなきゃってなるのもわからなくはないのだけど。
(でも、そうかな?そんなに困ることあるかな?っても思う。それはまた別途書いてみよう。)

だけど、自主的に集まったメンバーで、主催いるとはいえこちらの意向としては「こういう趣旨でこのプロジェクトやっている」というのを伝えた上で基本それぞれチームで決めてやってみて、なので、チームで決めたならそれでいいじゃん?だし、チームで相談してみて?なんだけどな。

なんか大きな、趣旨に反するとか方針に関わるとかならともかく、細かい、これ聞いていい?とか、こういう風に進めていい?とか、そこまで確認しないとできないのはなんでだろう。
仕事でもそこまで細かく決まっているものばかりではないと思うのだけど。

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こういう、小さな「これやりたい」も言えなかったりなかったり、やりたくても人の様子うかがってしまったり、という状態で、「自分がこうなりたい」とか考えるの難しいんじゃないかなって思っちゃうんだよな。
そうでもないのかな?

「こうなりたい」「こうしたい」も、”こうなるようにすればいいのかな”って確認や許可とるみたいになってしまう気がして。

正解がないんだから、自分が決めたのを正解にするだけなんだから、人の様子うかがってないで自分でほんとにやりたいのとかなりたいのとか考えたらいいんだよ。
っていうのを地道に伝えていきたいなぁ。

というか、そもそも、仕事でもなんでも「やりたい」って思っていいし言っていいよね?ってとこからやっていきたいと思う。

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