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#81 オタバロの悲劇-2

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

警察署を出た時には午後四時を過ぎていた。
オタバロでは宿をとっていなかったし、もう観光する気はすっかり失せていたので、ひとまずキトに戻ることにした。必要なモノを買いそろえるにしても、キトでなければ無理だ。すっかり落ち込んでいたわたしに同情した警察官が、パトカーでバス停まで送ってくれた。

つい数時間前、ここへ来るバスの中で起こった出来事が、盗まれた現場を見た訳でもないくせに想像上の映像で何度も何度もフラッシュバックしてきた。その苦いイメージと、防ぐことができなかった自分の後悔を振り払うために「今からだとキトのバスターミナルに着くのが六時半頃だから、そこから今朝チェックアウトした新市街の宿に戻ってチェックインし直して…」「それから明日は…」と、あれこれ今後の計画を立てることに集中した。
そんなわたしを嘲笑うかのように、バスは七時を過ぎても一向にキトに着く気配はない。結局バスターミナルに着いた時には、八時半をとっくにまわっていた。

六時半ならまだギリギリ循環バスを乗り継いで新市街まで戻れると思っていたけれど、さすがにこの時間だとわたしの頭の中の危険警報が鳴っている。まさかこの期に及んでさらに盗難被害を重ねる訳にはいかない。やむなくタクシーを探して、12ドルを提示してきたドライバーに、粘りに粘って8ドルで交渉成立させた。転んでも決してタダでは起きないのです。

夕方から降り出した雨はかなり強くなっていた。そこを注意深く走るタクシー。
とある場所を通り過ぎた時、ドライバーが助手席のわたしに顔を向け、神妙な顔で何かを言った。スペイン語だったから言葉を理解した訳ではなかったけれど、何を言ったかはすぐにわかった。わたしも同時に同じモノを目にしていたから。
人が道の脇の草の中に倒れていて、トランシーバーを持った警察官らしき人と他に何人かが取り囲んでいた。
事件なのか事故なのかはわからないけれど、介抱している様子は全くなかったから、おそらく最期は過ぎていたのだろう。

「こんな時に縁起の悪い巡り合わせ…」と自分本位に思ってしまったけれど、翌日にはキトで交通事故のほぼ現場に居合わせることになってしまった。道を歩いていた時、背後で空気をツンザくように突然響いた車の急ブレーキ音と、女性の悲鳴。驚いて振り返った時、駆け寄る人々の間に見えた泣き崩れる女性の姿…。

昨日の今日で立て続けの出来事に、まるで自分が不幸を呼び寄せているかのような気がして、あるいはこの後自分の身に起こる不運の予兆のような気がして、空恐ろしくなった。この旅の中で、一二を争うほどに暗く淀んだ気分に取り巻かれる…。

ここ南米のエクアドルで盗難にあった物が、犯人が捕まって戻ってくるとは到底思えない。現実的になって、潔く新しいものを買い直すか、あるいは思い当たるところが一つあった。泥棒市。

キトには有名な泥棒市がある。一見まともに見える雑居ビルの中に、スリ・置き引き・強盗などの被害に遭った盗品を再販する小さな店がひしめいている。被害者のほとんどは旅行者らしい。そこへ二日間続けて通い、シラミつぶしに自分のカメラとPCを探し回った。
滑稽なことに、このビルの入り口には制服を着た警備員が立っていて、目を光らせていた。「いったい誰から何を守っているつもりなの!?」と思わず詰め寄りたくなってしまうイラダチ。
ショー・ウインドウに並ぶ品々を凝視しているわたしに、意外にも愛想よく声をかけてきて値引額まで提示した店員には「人の物を盗んで売ってるくせに!」と八つ当たり気分でキッとにらんでやった。もちろん彼らが盗んで売っている訳ではないけれど。

「ここで見つかればすぐに取り返せる!」という強い思いと、もし見つかったとしたら盗まれた自分の物を買い戻すハメになる悔しさが激しくせめぎ合う。そんな中でこのビル全体に盗品の元の持ち主の怨念が渦巻いてる気がして二日とも鈍い頭痛と息苦しさでフラフラになりながら、這い出るように外に出た。結局、収穫は無かった。三日目の朝、わたしの足はもう泥棒市には向かわず、今度こそ、キトを出ようと心は固まった。

キトの旧市街の外れにある有名な泥棒市

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