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#68 ワイナポトシ登頂記-4

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

3日目、登頂の日。夜中の0時10分に目が覚めた。予定通りだ。緊張していたから、目覚まし時計は必要なかった。
まだ誰も電気をつけず真っ暗な中、あちこちから遠慮がちに準備を始める音が聞こえてきた。

トイレに行くためにヘッドライトを灯して山小屋を出た。予想通り、真冬の標高5,000m越えの真夜中の空気は極寒。星空を見上げると同時に、真っ白い吐息が広がった。

間もなくガイドが部屋の電気をつけて、全員に準備を始めるよう促した。テーブルにはパンやクラッカーと熱いお湯も用意されていた。食欲は無かったけれど、スタミナをつけるためにピーナッツ・クリームをつけたパンを頬張った。頭痛は無く、膨満感や吐き気も全く無い。「行ける」と確信した。

今回の登頂は、基本的に二人でペアを組み、そこに一人のガイドが付いて、計三人が一本のザイルに繋がって登ることになる。カップルや友人同士ではなく、わたしのように一人で申し込んだ人は、誰とペアを組むことになるのか、前日までわからない。前夜、初めて発表されたペアの相手が女性でホッとした。

実はこのワイナ・ポトシの登頂には恐ろしいシステムがあった。 運命共同体。二人の内どちらかが体調を崩したり、あるいはギブアップした場合、その時点でガイドと共に三人とも一緒に下山しなければならない。考えてみれば当然で、無事な方をガイド無しで一人で登らせる訳にはいかないし、もちろんギブアップした方を一人で下山させる訳にもいかない。

だから、前日の最後のブリーフィングの際、ガイドから「出発前に少しでも体調が悪い場合は正直に申し出て、登頂を諦めるように」と言い渡されていた。ペアを組んだ相手に迷惑を掛けないためだ(出発前であれば、直前に、ペアを組み直せるため)。わたしはこの登山に参加することを決める前に、いくつか日本人のブログを読んだけれど、確かに、自分自身が体調不良で途中下山した話と同じくらい、相手都合で撤退を余儀なくされた悔しい経験談が綴られていた。

わたしのペアのラティーナとは前夜に初めて顔を合わせたので、ほとんど自己紹介はしていなかったけれど、彼女はそこそこ登山経験はあるようだった。わたし達と違い、彼女は一泊二日のツアーでラパスからやって来ていた(初日の訓練を省いて、一気にハイ・キャンプまで来るコース)。

「頂上を目指す」と決めたからには、彼女に迷惑をかけないよう、あとは最善を尽くすのみだ。

フリースのインナー上下とウエアを着こみ、靴下を二枚重ねた足をプラスチック・ブーツに入れようとした時、足が入らない。サーっと血の気が引いた。
一昨日のアイス・クライミングの時は、靴下一枚ですんなり入った。「靴下を二枚重ねたから? 」「ピッタリの靴を選びすぎたんだろうか?」「いや、足がむくんでいるのかも…」ビジャリカ登山の時の記憶と共に、色んな思いがグルグルと頭の中をかけ巡った。頂上に近づくにつれ、手足は凍るような寒さにさらされると聞いていたので、靴下を脱ぐ気にはなれない…

そこでふと、防寒のためにフリースのインナーパンツの裾を、靴下の中に入れ込んでいたことに気づいた。それを引っ張り出して、靴下だけの足を再びブーツの中に押し入れると、キツかったけれど今度は入った!冷や汗をかく思いだった…。 「落ち着け、自分」と何度も心の中でつぶやきながら、最後の準備を進めた。

午前1時30分、ハイ・キャンプを出発。
山小屋を出る直前、部屋の隅の椅子に青白い顔でボーっと座っている一人の男性を見た。
彼はおそらく出発を諦めざるを得ない…。高所に決して強くないわたしだって、おそらく彼と紙一重だった。
ここまでの来ることができた、自分の幸運を感謝した。

ここから、頂上目指して出発した

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