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#76 ピスコの苦い思い出-2

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

明けた翌夜中、ガイドのファンの携帯アラームが鳴る前に目覚めたわたしは、極寒の中、寝袋をかぶったままトイレに行きたい気持ちと葛藤していた。ベースキャンプに放し飼いされた牛かロバが鼻息荒くテント近くに何度もやって来て、その度にビクッと目覚めたことをボンヤリと思い出しながら。眠った気がしなかったけれど、幸い、高山病の症状はなかった。

午前1:30にベースキャンプ出発。
ワイナポトシをイメージしていたわたしは、比較的早く氷河に取りつけるものと思ってスタートからプラスチックブーツを身につけた。ニコもいったんはプラスチックブーツを履いたにもかかわらず、ファンと何か話した後、自分の登山靴に履き替えたのを見て「あれ?」とは思ったけれど、深くは気にせず。

ところが当然の話、ワイナポトシとピスコは全く違う山
ピスコの方が低いこともあって(ワイナポトシ6,088m、ピスコ5,752m)、わたしは完全に甘く見ていた。歩き始めて30分もしない内に前回よりもかなりハードな道のりになることを悟ったわたしは、昨日のセボヤパンパからのハイキングがあまりに楽だったので「ワイナポトシに比べたら、今回は退屈しちゃうかもなぁ~」なんてエラそうに考えていた自分に、飛び蹴りを食らわせたい気分になった。

頼りないヘッドライトの下、暗闇の中、雪面が始まるどころか延々と不安定なガレ場が続く。重く歩きづらいブーツ。自分の履き慣れた靴でズンズン進んで行くニコを恨めしく思いながらも、このアップダウンの激しいガレ場で重たいブーツを背負って歩く自信も無かったわたしは(自分のトレッキングシューズを履いて来たとしたら、ブーツをバックパックに入れて運ばなければならない)、「わたしの選択に誤りは無かったはず…」と無理やり言い聞かせた。

途中、砂のまとわりついた垂直に見える岩の壁が現れた時には「こんなにも早くリタイア…」と思ってしまった。
けれども、そこではファンがわたしのバックパックを引き取ってくれて、身軽になったところで、何度も足場を確認し手の平に汗をにじませながら、なんとか降りきることができた。
その後もナイフリッジのようなトレイルとガレ場が交互に続いていた。漆黒の闇に取り巻かれていたことで、両サイドに口を開いているだろう谷の深さが見えないことが、逆に救いだった。昨日からの色んな行き違いで、ベースキャンプを出た時はまだ悶々とした気持ちが続いていたけれど、この頃には「余計なことを考えず、今はこの道を歩き切ることに集中しよう」という気になっていた。

結局、雪面の始まりに到着したのが5:30。ベースキャンプを出てから4時間が経過していた。
聞いていたよりも大分時間がかかっていたため、募る登頂への不安。とにかく歩き続けるしかない。ここからは全員プラスチックブーツにアイゼンを装着し、互いをザイルで繋いで進んで行く。雪面に入ってからも急な斜面は続いたけれど、アイゼンが氷を噛む感触がダイレクトに伝わってくる雪面の方が、わたしにとっては岩場よりも安心感があって楽だった。

永遠に続くような道のりに気が遠くなり、弱音が心を満たし始めた時、そこに風穴を開けてくれたのは、ようやく見えてきた頂上だった。既に陽は昇り、頂上へ向かう別のパーティーが、雪面に点々と浮かんで見えた。ファンは「ここから、あと2時間くらい」と言ったけれど、目標さえ見えてくれば「行ける」とわたしは確信した。この時は、弱音よりも「アルパマヨを見るまでは、絶対に諦めない」という気持ちの方が勝っていた。

何度目かの急な斜面を登り切ってひと息ついた時、ニコがファンに何かを訴えた。これまでも二人が立ち止まってスペイン語で話す場面は何度もあったけれど、今回は何か空気が違う。嫌な予感を抱えながら二人を交互に見比べていたいたわたしに、ファンから突然の通告。
「ニコが、ブーツが小さくて足が痛いからもう歩けない、と言っている。全員一緒に下山しなければならない。」
「我々はチームだから」

嫌な予感は当たる。頭を殴られたような気分だった。反論できるわけがなかった。
(その後しばらくは「あの場で反論すれば何とかなっただろうか?」という思いにも囚われたけれど)

「わたしよりもよっぽど山慣れしてそうに見えるニコが、靴選びを間違えるってどういうこと!?」という怒りが込み上げてきたけれど、もちろんそれを英語でもスペイン語でもぶちまけることはできないし、ぶちまけても何の解決にもならない。自分の腹の底に無理やり押し込めると、ふつふつとドス黒く沈んでいくのを感じた。

延々と4時間以上歩き続けたガレ場
浮いている岩が不安定で、何度も転びそうになった
陽が昇って、見えてきた頂上。先を行くパーティーの姿に勇気づけられた瞬間


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