真の喜びってなんぞや?
「真の喜び」って何だろう?
と考えるのは、私の名前が真喜(まき)だから。
何だろう?と考え始めたのは高校生の時。全然分からなくて放置して、ボーっと生きていた大学時代には忘れて、社会人になって、多忙になりすぎてから、やっと思い出して。
父の名前の一字「喜」をとって名付けられたから、たいそうな意味もないらしい。by両親
それでも「喜」を気に入っていたからこそ、意味があるだろうと思って。
未だに答えは出てない。
だけど昨夜、夫とした会話は、身が震えるほど嬉しかった。
自分が最もやりたいスピリチュアルなことに対して、後押しをもらうだけでなく、一緒にやりたいことを伝えると
「うんいいよ。」
たった一言。答えてくれた。
言葉じゃなくて、本当はどう思ってるかを注意深く観察しながら、彼の様子をうかがって。心から「いいよ」と言ってくれてるのが伝わって、震えた。
嬉しくて。
日常生活の些細な会話の中に、こんなに嬉しい感情が隠れているのかと。
小さな真の喜びを見つけて、それを積み重ねていくことでしか
大きな真の喜びには辿り着けない。
何気ない日常にハリが出るね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?