あなたが納豆を食べられないとして、

それは一体、どんな世界だろう。

あなたは納豆を食べられない。食べたくない。食べる気がしない。

さて、納豆を食べないあなたの家には、納豆がない。
朝ごはんは米派だけど、ふりかけとか梅干しがご飯のおともになる。
毎日美味しいご飯が食べられて幸せだ。

ところが、家から一歩出ると、あなたの平和な世界は脅かされる。

食べ物ネタは、会話のとっかかりとしては最適だ。
「納豆、食べないですね。」
と一言でもいうと、どうなるだろうか。

「えー、納豆美味しいのに！」
「ねばねばが嫌なの？　最近はねばねばが少ないのも売ってるよ」
「日本人のソウルフードじゃん」
「外国人かぶれかよｗｗｗ」
「納豆嫌いなんて、人生損してる〜」
「一度くらい食べてみたら？　案外いけるかもよ？」
「健康にいいんだから、食べたほうがいいって」

エトセトラエトセトラ……
なぜだろう。
セロリが嫌いとかにんじんが嫌いとかよりも、納豆嫌いは世間のあたりが強い気がする。

「いや、嫌いっていうか、うん……」
「食べたいと思わないし……」
「まあ、機会があったら食べてみるよ」

納豆は、あまりにもしれっと日常のなかに溶け込んでいる。
スーパーにもコンビニにも売っている。
CMでは流れないくせに、定期的にイソフラボンとかナットウキナーゼとか発酵食品とか、健康ブームで持て囃される。
絶対に消えることのない食品。
それが納豆だ。

友達と、温泉旅行にきた。
最高のお湯に美味しい夕飯。
ふかふかのお布団を並べて、たわいもないおしゃべりに興じる。
その翌朝。
御膳に並ぶのは、輝くばかりの豪華朝ごはん。

そして、納豆。

納豆を食べない、という選択肢はある。
食べるも自由、食べないも自由。
別に誰の迷惑になるわけでもない。
そのはずだ。

ところが、「納豆を残す」という行動は、ほかの食べ物を残すよりもちょっと異質だ。

あ、この人納豆残すんだ。

例えばそれが、サイコロステーキだとか、お刺身だとかだったらどうだろうか。
仲のいい友人が、あるいは食いしん坊の友人が、

「え、それ食べないの？　じゃあわたしもらうよ。美味しいもんね」

と喜んで引き受けてくれる。
win-winである。
でも、納豆を喜んで「ちょうだい」と言ってくる人間は、ほとんどいない。

あ、納豆残すんだ。

ただそれだけ。
そこには、「納豆を残す人」という動かし難い断絶が生まれ、どれだけ他のものを食べようとも、残さない人と同じではいられない。

自分の御膳にポツンと残された納豆は、普通でないことの動かぬ証拠だ。

あるいは友人と、ご飯を食べにいったとして。

創作系イタリアンのお店で、ヘルシーな食材と大きなピザ窯が有名。
マルゲリータ、クワトロフロマッジョ、ジェノベーゼ。
どれにしようかと目移りしていると、ひとりがビシッとメニューを指さす。

「ねえ！　納豆ピザだって！」

えーめずらしー
おいしそー
納豆とピザって合うんだ？
納豆パスタとか美味しいもんねー
いいね和風ピザ、ひとつはこれにしよ

「あの…… わたし、納豆食べれないんだよね……」

おずおずと挙手してつぶやくと、一瞬シン…… と冷える空気。

「あーそっか。じゃあ別のにする？」
「あ、ごめん、いいよ。みんな食べたら？　わたしほかのもあるし」
「そう？　匂いとか平気？」
「うん、自分が食べなきゃいいだけだから」

テーブルを埋め尽くす色とりどりの料理。
人数分に切り分けられたピザ。

一切れだけ残った、納豆ピザ。

納豆を食べようが食べまいが、お支払いは等しく割り勘だ。
文句を言う筋合いもなければ、言うつもりもない。
同じ場を共有するのだから、当たり前のことだ。

納豆ピザおいしかったねー
家でもできるかな？
キッチン臭くなりそうｗ
たしかにー
でも美味しいもんねえ

共有できない感想と、ピザ1枚分のお腹の隙間を抱えて、顔だけ笑う。

それにしても、ピザだのパスタだの、トーストだの、チャーハンだの、玉子焼きだの。
なんであらゆる料理に納豆を入れたがるんだろう？
国民総納豆中毒なのだろうか。

ある人は言う。

「アレルギーなの？」

納豆アレルギーなんて、あるのだろうか？
わざわざ検査をしたこともない。
別に命の危機があるわけでもなし、自分が食べないだけなのだから、検査の必要はないだろう。

「案外食べれるかもしれないから、一口食べてみたら？」

食べなくてもわかるんだな。
これは自分にとってはナシだって。
もうこれは確信だ。
納豆が好きとか嫌いとかじゃなくて、「自分の食べ物じゃない」のだ。

「でも、美容にも健康にもいいんだよ？」

納豆以外でだって、美容と健康にいいものは摂取できますし？

「別に納豆嫌いでもいいじゃんね。特に困らないでしょ？」

自分の家に引っ込んでいる分には困らないんだけどねぇ。

「納豆食べれなくたっていいじゃん。他の人と変わらないよ」

本当にそうかな？

「人を好きにならなくたっていいじゃん。個人の自由だよ。」

本当にそうかな？

アロマンティックとか、アセクシュアルの世界って、ちょっとだけ、納豆を食べない人の世界に似ている。

かもしれない。