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両の腕が作り物だと、ある日気がついた

昔から手先が不器用だった。
何をやってもうまくいかない。文字を書くこと、絵を描くこと、ハサミを扱うこと。人と手を繋ぐこと、ボールを投げて受け取ること、紐を結ぶこと、ボタンを止めること。

「なにぐずぐずやってるの」
「器用そうに見えるのに、そうでもないんだね」
「練習が足りないんじゃないの」
「やっていれば、いつかできるようになるよ」

わたしを貶め、あるいは励まし、あるいは同情する声が右の耳から入って左の耳に抜けていく。不器用なことを悟られないように、必死だった。

不器用なせいか、わたしはよく怪我をした。
指先を切っては、バンドエイドで止める。手についた絵の具やインクがなかなか落ちなくて苦労する。ボールを受けそこねて突き指をし、肩を回そうとして扉に腕をぶつけた。

もっと、もっと。
みんなと同じようにやらなくては。みんなと同じくらい、うまくやらなくては。せめて、不器用なことがバレない程度には、うまくカモフラージュしなくては。
物心ついたときには、まわりにバレないように、バカにされないように、取り繕うことが息をするように当たり前になっていた。息苦しいことを、知らなかった。


「え、なに。これ……」

呆然と見下ろした自分の右手には、包丁が握られていた。左腕の手首が、ざっくりと切れている。狙ってやったわけではない。動画で見た包丁さばきを真似しようとして、手が滑っただけだ。
切り傷からは、ドクドクと赤い液体が流れ落ちている。これだけ深い傷は、生まれて初めてだった。

切り傷の中、赤い液体が溢れるその奥には、金属の骨がのぞいていた。

人体の皮膚の下には筋肉があり、その下には、白い骨があるはずではなかったか。
よく見れば、赤い液体が流れ出ているのは皮膚のすぐ下だけで、それよりも深い筋肉であるはずの繊維からは、液体は一滴も出てはいなかった。

包丁がガチャンと音を立ててシンクの中に落ちる。
空になった右手を、恐る恐る切り口の中につっこんだ。ぬるい。柔らかな、それでいて明らかに肉とは違う触感がした。

なにこれ。なにこれ。一体何がどうなっている。

疑問符だらけの脳みそは、まともに思考をまとめられない。空っぽの頭のまま、左手で包丁を掴み、右腕に突き立てた。
ぐっと開いた傷口からは、やはり赤い液体と、ゴムのような筋繊維、そして金属の骨が見えた。

「なに、なに、なんなわけ……」

恐怖、という感情は湧かなかった。あまりにも非現実的な光景に、パニックのまま冷静になる。両腕の傷口に大きなガーゼを貼り、わたしはベッドにもぐりこんだ。
知られてはいけない。こんなこと、絶対に知られてはいけない。
ただでさえ、手先の不器用さを隠すのに、これまで必死だったのだ。まさか腕が機械でしたなんて、口が避けても言えるものか。こんなのは人間じゃない。こんなのは、まともな人間じゃない。気味悪がられて、悪し様に言われて、社会から弾き出されるだけだ。
絶対に、バレてはいけない。

腕に巻いていた包帯は、数日で外した。半袖の季節でなくて、よかったと思う。それ以来、暑い日でも長袖の羽織ものは手放せなくなった。
人前で手を使って作業するのが、いっそう嫌いになった。

平然と、なんてことのない生活を送りつつも、脳裏にはあの日に見た、金属の骨の残像がこびりついていた。
友だちとご飯に行く。ナイフを使う指先を見ては、あの人の骨は白いのだろうか、と思う。
仲間でスポーツをする。ボールを投げるあの腕には、血肉が通っているのだろうか、と思う。
それとも、みんな金属の骨とゴムの筋繊維を、隠しているのだろうか。

不安に押しつぶされそうな夜は、部屋にこもってスマホやパソコンの画面ばかり見ていた。
  腕 金属 骨 何 
思いついた単語を、片っ端から検索する。取り留めのない単語の羅列は、望む結果を表示してはくれなかった。自分が何を知りたいのかも、よくわからなかった。
ただ、この不安な気持ちを晴らしてくれるなにかに、出会いたかった。
そうやって、思いついては検索し、どうでもいいサイトを流し見していく日々を過ごすうちに、ふと、奇妙なタイトルが目に止まった。
「腕に違和感を感じたら、義手だった」
考える間もなく、その文字列をクリックしていた。

「昔から、自分の腕に違和感があったんです。なんていうか、自分の体の一部じゃない、みたいな。小学生の頃はそうでもなかったんですけど、中学生になったら違和感がひどくなって。あるとき、自分の腕を切りました。ほら、血を見ると生きていると実感する、とかよく言うじゃないですか。
そうしたら、血みたいな液体は出たんですけど、その下は、作り物だったんです。わたしの腕は、生まれつき、義手だったんです」

はあ? うそでしょ? そんな、チープなSFじゃあるまいし、今どきそんな設定、編集者に即却下されるでしょ。
頭ではそう思うのに、表示される文字を追うのをやめられなかった。だってそれは、わたしの身に起きたことにすごく似ている。

その記事を書いた人は、この状態を「先天性義肢体症候群」と呼んでいた。文字通り、生まれながらにして体の一部が、機械仕掛けになっているという。かつては、この症状を訴える人は、「事故で腕や脚を失って義手・義足になるも、トラウマによってその記憶を忘れてしまった人」という扱いを受けていたそうだ。まあ、だれだってそう思うだろう。どうしたら人間が、体の一部が生まれつき機械仕掛け、なんてことがあるだろうか。
ところが、医療が行き届き、患者の病歴がきちんと管理されている現代になっても、「記憶にも履歴にもないのに、いつの間にか体の一部が機械化している」という訴えが、なくなるどころか増え続けているらしい。これまで、記憶喪失というレッテルを貼られることを恐れていた人たちが声を上げはじめたのではないか、といわれているが、原因は定かではない。
日本では、この症状を訴える人が、ようやくネットを通じてお互いの存在を認知できるようになってきたばかりだが、欧米では数年前からオンラインのコミュニティが活発になっているようだ。症状は人によってまちまちで、両腕が義手の人、片腕だけの人、両脚の人、片脚の人、滑らかに動かせる人、不器用な人、見た目で形がいびつなのがわかる人、手タレとして活躍している人。一概に「こういう人が義肢体」と言えないらしい。あくまでも、「自分で義肢体だと認識すること」が、先天性義肢体症候群の判断基準だ。事故などで知ってしまう人、自らを傷つけて知る人、どちらもあるし、それをどう受け止めるかも人それぞれだった。

リンクからリンクへ飛んで、いろんなサイトを駆け巡った。日本語の情報はほとんどなくて、英語のサイトのほうがわかりやすかった。乾いた目をシパシパさせながら画面の文字を読み続けて、気がついたときには、夜が明けていた。

充血した目をこすりながら、くたびれた体を引きずって出勤の準備をしつつ、わたしの心はわずかに軽くなっていた。

先天性義肢体症候群

数時間前に知ったばかりの、意味不明な、謎の症状名。
わたしの両腕の皮膚の下にある、金属の骨とゴムの筋繊維には、名前がついていた。
名前がつくくらい多くの人間が、皮膚の下に機械仕掛けの体を隠し持っているのだ。
ほかにも、機械仕掛けの人間がいたのだ。

先天性義肢体症候群は、病気でもなければ化け物でもない、と数々のサイトで言われていた。かつては、事故による記憶喪失、記憶改ざん、あるいは、狂科学者による人体実験の被害者、なんて言われていた時代もあったらしい。そのほうが、まっとうな人間には理解しやすいのだろう。
しかし現在では、原因や仕組みは不明ではあっても、これは病気でも集団記憶喪失でもなく、まれにそういった体で生まれつく人がいる、遺伝でもなんでもなく、ランダムにある程度の確率で、そういうふうに生まれつくのだ、と考えられている。
機械仕掛けなのは体の一部で、ほかの部分は血と肉と白い骨でできている。それは間違いない。わたしも一度、自分の体が気持ち悪くなって、脚を切ってみたことがある。鋭い痛みと大量の血、血の滲む肉、そしてわずかに見える白い骨。気を失いかけながら呼んだ救急車では、うっかり包丁を取り落として刺してしまった、と嘘をついた。ふくらはぎに、消えない傷跡ができた。
義肢体の部分以外は、ほかの人間とまったく変わらない。仮にレントゲンを取ったって、腕の骨はほかの骨と同じように映る。こうなると、本当に意味がわからない。

今日もわたしは、不器用さを誤魔化しながら生きている。腕の骨のことは、誰にも言っていない。誰かにバレることに怯えながら、まわりの人と同じようなフリをして生きている。
わたしと同じ症状の人に出会ったことはない。ネットで見た記事は、わたしの妄想なんじゃないか、と思うことがある。だけど、そういう記事は今でも見ることができて、この地上のどこかたくさんの場所で、わたしと同じように、金属の骨を持ちながら生きている人がいることを、教えてくれる。
いつか、同じ症状の人に会えるだろうか。どうやったらそれがわかるだろうか。
この症状を人に話す日はくるのだろうか。どうやって証明すればいいんだろうか。まさか、人前で自分の腕を切り裂くわけにもいかないだろう。


この体が病気じゃないと、こんな体でも人間だと知ったその夜、わたしは少しだけ泣いた。


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