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ビター・スイート・ライフ

NHK「ヒストリア」で法隆寺の宮大工の話を知った。代々続く宮大工の家に生まれた彼は、4歳から現場に連れ出された。他の家の子が遊び回っているすぐそばでノミを砥ぐ日々。できた、と思って持っていくと祖父は一瞥しただけでまるでダメだと否定し、自分の道具箱のノミを見て学べと言う。具体的な指導はせず、答えは自分で見つけろというのだ。さらに宮大工の心得は口伝であり、言ったその場で覚えさせられる。なんという効率の悪さ。つい「私がなんで怒ってるかわかる!?」と叫ぶ女や「俺の背中を見て学べ」と言う理不尽な上司を連想して「パワポで1枚にまとめてGoogleドライブに入れてくれ」などと思ってしまう。という私の無粋な連想はどうでもよいのだが、この“英才教育”をほどこされた子どもが大人になって大変なことが起こる。1949(昭和24)年、法隆寺金堂が不審火により、無残にも焼け落ちてしまったのだ。

かつて遊ぶ友を横目にノミを砥いでいた少年はすでに大人になっていて、棟梁として再建に携わることになった。しかし1000年以上も前の建造物、どうにもわからないことばかりだ。困り果てた彼はどうしたか。古い絵巻に残る大工たちの図から道具を想像し、鍛冶に作らせては調整し、3年かけてそれを使いこなせるまでになったのだ。かくして28本の柱は無事に削り出され、金堂は再建に至った。

あ、と思った。「パワポで1枚にまとめてGoogleドライブに入れる」形式の教え方では、これはできなかっただろう。古きに立ち戻り、ない道具を想像して作り、苦労して使い方を会得する。ひとりでやったことではなかったかもしれない。途方に暮れて周囲に相談し、アドバイスを仰いだりもしたのだろう。ただ、「何もわからないなかで、なんとかする力」というのは、正解を教えられてそのとおりに習得するという方法では、なかなか育ちにくいのだ。あれもダメ、これもダメというトライアンドエラーの日々、でも絶対にやるんだと食らいついてもがき続ける。今、わかることに目をこらして、わずかなヒントも見逃すことなく拾い上げる。こうしたことは、意思だけでは折れてしまいやすい。そうした姿勢を持ち続けるという、訓練こそが効いてくるのだ。

この祖父のようなやり方で人生を教えてくれるのは、星占いの世界では土星とされている。「制限と試練の星」と呼ばれ、この星が巡るテーマにおいては頭を押さえつけられるような出来事をもって、自分を鍛え上げることを強いられる。しかも比較的長期で、2年半〜3年かけて向き合わされることになるのだ。2年目ともなると「もう嫌というほど頑張ってきたのに、まだ頑張らなくちゃいけないんですか」とうんざりした顔を見せる人もいる。どの人にも等しく土星は巡っているわけで、常に誰もが何かしらの制限を受けながら克服しようとしているわけだが、当然その感じ方には個人差がある。私の場合はこの数年、どこか人生をナメくさっていた自分の甘さを、苦い汁を舐めさせられるようにジワジワと思い知らされることとなった。ただこれは私の問題であり、すべての人にこうしたことが起こるというわけではないので過剰に心配しないでいただきたい。

ただ、今になって思うのだ。あのとき苦い汁を舐めていなかったら、誰かを心のよすがとして頼り切って、振り回されるだけの人生になっていただろうなと。愛する人にもたれかかって、重荷になって関係性に歪みを作っていただろうなと。それは自分にとって、ものすごく不安なことだ。しんどい思いはしたくない、楽をして生きていきたい。でも、それがたとえ実現したとしても、人生には何が起こるかわからない。そしてどんなに幸福になっても、悩みは尽きないのが人間である。それであれば、苦労はあっても自分でどうにかできるだけの力を手に入れられているほうが幸せではないだろうか。進んでしんどい思いをしたいわけではないけれど、苦境のときは、自分を育てているとき。そんなふうに考えられたなら、人生はいくばくかしのぎやすくなるように思う。

とはいえ人間、しんどいときにそんな徳の高いことを考えていては心がもたない。しんどいときはしんどい、それでいいのだと思う。「自分を育てているとき」だなんて、トシをとってからしみじみ噛みしめるくらいでちょうどいいのだと思う。そのときは来ると思ってビターな日々も受け入れていく、なんとか日々をやりくりしていく。そうするうちにいつの間にか成長できる、ほろ苦くも甘美な人生。

子ども時代に苦手だったピーマンを大人になって食べられるようになるのは、本能的に危険と忌避する苦さを、経験により危険ではないと判断できるようになるからだという。ピーマンが食べられなくたって死ぬわけじゃないけれど、経験も決して悪いものではないなと思うのだった。


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