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あれもこれもうまくできない

人生も中盤に差し掛かって「何を今さら」状態なのだが、自分はうまくできないことが多すぎるのではないか!?と気づいて驚いている。

耳で聞いて情報を理解することがうまくできない。電話もリスニングも音楽もまるでだめである。体をうまく使うことができない。階段を駆け下りたり、長縄跳びに入ったり、エスカレーターにスムーズに乗ったりすることが非常に苦手である。しょっちゅう転んだり体をぶつけたりもしている。パートナーや友人いわく「大概にしてぼんやりしていて、どんくさい」のであり、私もそう思う。そういえば18歳までに車に3回轢かれ、親兄弟知人一同から「頼むから運転する側には回らないで」と言われ、深く納得したので免許は持っていない。

できることもある。たとえば文章を書くこと。人生の比較的早いうちに文章なら書けそうだと気づき、20年書き続けた。できるというか、慣れたのだろうと思う。思えば学生の頃から「頭はよくないが時間をかければなんとか人並みにできる」作戦をとっていた。

20年間、いろいろと血迷っ……もとい、人生の道を模索はしてはきた。ものを書き始めて10年目くらいで、企画については「たまにヒットを飛ばせるが打率は低い」ことに気づき、文章に照準を合わせ直した。13年目くらいでマネジメントや経営向きではないと判断し、15年めくらいには指導者向きでもないと自覚しひとりで仕事をするようにした。18年目くらいからは耳を使うことと話すことからも徐々に距離をとり、日がな一人でぽつねんと文章を書くようにした。自分は取り入れた情報を噛み砕くのに大変時間がかかる。ならば、限られたリソースを書くことに集中しようと思ったのである。いろいろ気づくのが遅い。

仕事でも趣味でも、次から次へと新しいチャレンジをして上にいく人に憧れていた。実際にチャレンジしてみると、それは「あれもできない」「これもできない」と自覚することの連続で、なかなか悲しいことだった。コンプレックスは静かに降り積もる夜の雪のように増えていく。さりとて「できる」人だって、いきなりうまくいったわけではないはずだとわかってもいる。たくさんのものを得た人は、たくさんの「できない」を乗り越えた人なのだ。それでも、である。できるようになりたいのに、どうして私は耳で情報を理解しようとすると頭が真っ白になってしまうんだろう。どうしてどうすればいいのかわからないのだろう。1匹だけいつまでも芸をおぼえられない、猿回しの猿みたい。できないうえに、克服する根性もない自分を否定することも多かった。

しかし「できない」ことを克服するのではなく「できる」ことを強化するほうにエネルギーを使う選択をする、というのもまたチャレンジしてみて初めてわかることなのだろう。もうずっと前、当時の恋人に「君は一点突破全面展開を狙え」と言われたことがある。ランチェスター戦略だ。その頃の私はいろいろチャレンジしてみたい盛りで「そうなのか?」と疑問のほうが大きかった。しかしこの「一点突破全面展開」は人生の岐路にさしかかるたびに意識に蘇り、私を導くことになった。長く暗いトンネルのところどころに置かれた、ちいさなあかりのように。

せっかくチャレンジしても「あれもできない」「これもできない」と自覚するばかりなのは辛いことだ。しかしそこから「こっちがダメならこうしよう」と考えることは、チャレンジなしにはなかなか行き着けないプロセスである。できなかったから、できるようになったこともあるのだ。

こんなことは、多くの人は若いうちにサクッと気づいているのだろう。しかしネチネチと考え続けてじっくり噛み砕いた自分というものは、なかなか愛おしい存在であるように思うのだった。スピードも大事だ。でもその一方で、誰もが長期的な視点で少しずつ自分が生きやすいほうへ人生をチューニングしていけたなら、それが一番いいと思う。

今日もゆっくりと階段を降りて、仕事場に向かう。


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