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はちみつの年

2019年ははちみつのような1年だった。黄金色の甘い渦はもったりと重く全身にまとわりつき、ともすれば足を絡め取られて転びそうになる。倒れてもそこには、やわらかいはちみつが私を受け止めて手も足もずぶずぶと沈んでいくのだ。黄金色の視界は透明で、前は見えているけれどどこまでも同じ光景に見える。甘い香りにむせ返りそうになりながら、でもそれは同時に陶酔にも似た気持ちを胸いっぱいに呼び起こすのだった。

木星が自分の星座に巡ってきた1年。そこそこ長く生きてきたけれど、こんなに頑張った年はなかった。とにもかくにも濃密かつハードでーーそのスケジュールを詰め込んだのは自分なのだがーーはちみつの海に投げ込まれたように手足を絡め取られつつも、一番好きなことを仕事にできている日々はたいへんに甘美で、朦朧としつつももがき続けた。甘やかな香りで胸をいっぱいにしながら。

振り返ればまだまだ努力が足りないところもあった。それは自覚している。もっと勉強に時間を割くべきだった。もっと自分の文章を書いてもっとたくさんの人に届けたいと思っていた。もっと人にやさしくありたかった。もっとたくさん本を読んで、もっとことばを自分になじませて、もっとーーしかし「もっと」には際限がない。吐きそうになりながらも、指紋をすり減らしても心を尽くして書き続け、今の自分が持てる力は尽くした。よくやったと思う。

僕が死を迎える時ーー
自分に言う
“やれることはやった”
“すべて”

これはX JAPANの映画「We are X」の冒頭でYOSHIKIが語る言葉なのだが、この1年は毎日のように「やれることはやった、と言えるだけのことをしよう」と自分に言い聞かせていた(もちろんYOSHIKIの努力の足元にも及ばないことは承知のうえである)。それはおおむね実現できたと思う。まだまだできることはあったにせよ、やれることはやった。そう言い切れるほどに生きた1年は、これからの自分にとって希望だ。もっとできるはずだ、と自分を鼓舞するための。もっとできていい、と自分を信じるための。

泥水をすするような思いで過ごした1年もあった。底の見えない暗い穴を除き続けたような1年もあった。現実から逃げてずっと続く春のなかにいたような1年も、若い頃にはあったような気がする。あと3時間弱で木星は移動して、星占い的には新しい1年が始まる。ベストを尽くすことは決めてはいるが、また泥水だって暗い穴だって巡ってくることはあるのだろう。ただこのはちみつのような日々を「やれることはやった」と言える自分が、ほのかな光を未来に投げかけてくれているような気が、するのだった。

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