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音大卒フリーアナウンサーへの道のり:2

こちらのつづきです。

音大時代

<マクドナルドで得たもの>

無事に洗足学園音楽大学へ進学することができ、横浜市青葉区での一人暮らし生活が始まりました。

典型的な、貸与型奨学金受給学生(勤労学生)です。
仕送りももらっていましたが、足りないのでアルバイトは必須。
それでも行かせてくれた両親には感謝しています。弟にも。
音楽以外にできることが当時のわたしにはなかったから。

音大には、アルバイトをしなくても生活していける学生や、そもそも身につけているものがブランド素人のわたしでも高額だということがわかる学生もたくさんいました。

これは、学部や専攻によってもわかれるところだと思います。
専攻楽器によるカラーがでて面白いところでもあります。


ともあれ、練習時間も確保しなければならないので、シフトが比較的自由なアルバイト「マクドナルド」を選びました。

でも、練習そっちのけでアルバイトにハマってしまいました。
ただし、そこでとても大事なことを教わりました。

早朝シフトに入れるので、1年もせずにマネージャーやらない?と言われました。リーダーっぽいことを一度もやったことのないわたしにとっては「無茶ぶられ」事案。

そこでは、大学生が大人のパートさんに作業指示をする機会が頻繁にあります。このようなことを、社員さんたちに教わりました。

「一緒に仕事をする人が気持ちよく働くために、どう伝えればよいか」
「受け取った側がどう思うかを考えて言葉を選ぶ」
「自分ができることを人に教える=自分が楽できるようになる」

ここでも「師に恵まれる」です。
引っ越しで店舗を移ることになったとき、パートさんに泣かれたことを今でも覚えています。あぁ、ちゃんと伝わっていたのだな、と。

そんなこんなで、新しい土地での、アルバイトとの両立生活に慣れるのに2年かかったという印象です。
3年次が始まったころ、そろそろ先生方から心配のお声をいただくようになって、練習に本腰を入れ始めました。


<Macintoshとの出会い>

あと、このころ、アルバイトで稼いだお金で初めてMacintoshを買いました。DTMをやってみたかったのが購入動機でしたが、モデムがついていたことで、書籍などで勉強しながらネット接続にハマります。
このことは、また後の人生でとても活きてきますが、それはまた次回に。


<エレクトーンからの卒業>

肝心の学業については「限界を見た」ように思います。

食う寝る以外は練習する日々。
初めて、学校以外にも目が向くようになりました。
学校以外の先生に習ったりもしました。
地元が関東ではない、という出遅れ感をここで感じたりしました。
何しろ先生のツテも最初はなかったのですから。

当時できることはやったと思います。

そして目標にしていた、ラフマニノフの交響的舞曲(とても難曲)を仕上げたとき、「限界を見た」と思いました。

だからこそ、「超絶技巧ではなく、演奏の質を高めたい」という考えにやっとたどり着き、ベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」2楽章というシンプルな楽曲やラフマニノフのピアノコンチェルト2番のアンサンブルに向き合うという自分の中でのひとつの到達点に達することができ、また先生方や周囲からもわずかながら評価の言葉をいただけたように思います。

「達成感」は確かにそこにありました。

もうひとつの気づきとして、商業レベルで仕事をして生活をするには、「スピード感(曲を仕上げるまでの速度や完成度)が必要。」ということを、周囲のデキる先輩方を見て感じました。

本当にデキる人は、仕上げるまでが早いし、完成度も高い。

エレクトーンがニッチな世界であることも考慮すると、そのレベルに達しないと仕事にならないのでは、、という考えもあり、大学卒業と同時にスパッとエレクトーンを卒業しました。

もっと続ければ変わったのかも?と今なら思いますが、経済的にもその選択肢はありませんでした。

達成感があったので今でも後悔はしていません。

今にして思えば、これは「やりたいこと(エレクトーン)と、できることが一致しなかった」の初めての判断になるかと思います。


<寺島尚彦先生のゼミで得たもの&MC初体験>

もうひとつ、学生生活で大きかったことは、「さとうきび畑」の作詞作曲をされた寺島尚彦先生のゼミに入れていただけたことです。
ここでも「師に恵まれる」を発動しています。

決して優秀な学生ではなかったわたしに声をかけてくださった真意は聞けないままになってしまいました。「まきちゃん」と穏やかに呼ぶ声は今でも頭の中で再生できます。もう演奏はしていないけど、この頃のことを活かして何とか生きています、先生。

寺島先生のお考えや楽曲に触れたり(手書きの譜面からして芸術でした)
北軽井沢の別荘に連れて行っていただいたり(別世界でした)
コンサートの制作をしたり
子供の前で歌をうたったり
司会の経験もしました

このゼミのメンバーで北軽井沢小学校で開催したコンサートは、今もかたちを変えて続いています。

司会については、ここでも「無茶ぶられ」人生です。
当時のわたしが人前で話すことが上手には見えなかった自信があります。
何のきっかけでふられたのか全く覚えていません。。

引き受けたからには、ヤマハ音楽教室時代の発表会で司会をしてくださった方(プロの方だと思います)が、どうやって進行していたかを思い出しながら、コメント読み、キュー出しなどを手探りでやっていたと思います。

どのようにキューを出されると演奏しやすいか、とかマクドナルドで子供向けショーのお手伝いをしたりした経験もここで活きました。

最終的には、演奏の依頼より、司会の依頼のほうが多かったように思います。みんな演奏したいですものね(笑)

今にして思えば、「依頼される」ということは一定の評価をいただいていたのかな、とも思います。

でも、ここでのMC経験は人生の中でしばらく忘却の彼方へ…


大学、ゼミ、アルバイト、Macintosh…
色んな経験を経て、バブル崩壊後の世の中へ放たれます。つづく。


〜風に吹かれる人生はまだまだ続きます〜

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