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性愛じゃない強い感情は存在します

定期的にタイトルのような考えに陥るときが来る

やっぱり「性愛規範」はクソだ。
「性愛規範」、すなわち「最も強く愛している者は一人だけでなければならない、最も強い愛情を抱く者には性欲も伴わなければならない」というものだ。
異性愛規範はこのような場では多少緩和されつつあるが、やはり「仲が良いのだからセックスをしているはずだ」と思ってしまうような規範は根強い。

恋人とセックスしたくないわけじゃない。寧ろ猛烈にしたい。
ホテルに恋人と泊まったらセックスくらいしたい。

でも、それでも、やっぱり性愛規範が害悪であることは変わらない。

彼氏より(同性の)友達を優先したいときもある。それは友人に性欲を抱いているからでも、彼氏に性欲を抱いていないからでもない。
男性の友人と毎日のようにLINEをしていて、彼氏とはLINEしない日も多いという事実。私にとって友人は友人で、彼氏は彼氏だ。毎日LINEをしようが、感情を揺り動かされようが、不思議と性欲には上手く結びつかない相手というものがあって、それは彼氏にはなり得ない。
彼氏だから、
でも、それは性愛規範が染みついている人々……この世の大多数の人間ににどう受け取られるのか。
考えるだけでも恐ろしい。

一昨日昨日と友人が発した言葉に悶えていたものの、それはもう気味の悪いくらい身体が疼かない。なぜ心だけが温まってしまうのか、異様な感情に自分が一番困っていた。こういう感情も性欲に含めてしまうと、私は同性はもちろん、書物や文房具にさえ性欲を抱く者だということになってしまう。それは違うだろう。

(余談だが、そういう性愛規範をもっとも強く見かけるのは一部のBLオタク界隈であったりする。男二人が信頼関係を結ぶ描写があるだけですぐに「こいつらヤってるだろ」と確信してしまう言動は心底理解できない。男同士の強い感情とこじれた人間関係の描写は大好きなのだけど、それがセックスに結びつくと「違う」んだよ。)

「セックスしないけど強い感情を抱く」ということがない人が多いことに、最近気付かされた。

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