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自分のINFJ自認を疑う理由

切っ掛け

①すっごく仲良くしていた推測(ほぼ確定)INFJの知人からドアスラム喰らって、「あ、自分にこの機構無いな」と思ってしまったから。

あの愛想はどこへ?と思うくらい。あからさまに避けるとかでもない、底知れない怖さを覚えた。
怖いと思うのは自分にない機能だからとしか思えない。無意識にでも分かっていたら恐怖より嫌悪が勝るだろう。

それと、知人からの別れの言葉が「そうやって口出しするの、人の気持ちを考えているつもりなのだろうが、実際問題まったく考えられていないよ」だったのも、自分はFe優位ではないな……と思わせてしまったひとつの要因。かなりショックだった。

②踏み込んで分かった心の冷たさみたいなものがすごく気味悪く感じた(同族嫌悪でなく異質にしか思えなかった)こと

すごく温和で優しく正義感に溢れているけど、たまに物凄く端的で事象を切り捨てる言い方をしたり、悪人と見なした相手をボロっクソに罵倒するところがあった(「あれは人間としてどうしようもない」とか)
あと、滅多に心を開かず自分と親くらいにしかそういう面を見せない(と言っていた)こと。
あとは露骨な悪口になるのでやめとく。でも劣等Seを感じた発見だった。

「あ、【これ】がINFJの心理機序なんだ」と未知のものを知ったような感覚に陥ったと言うことだ。
知人がINFJかINFPかを推定し損ねていたけど、多分それは私の自認が変だっただけで知人にJPを揺らがせる余地はなかったのだろう。
(※自分は何かとの差分でものを認知する性癖があります)

余談だけどこれかこれだった可能性が微妙にあります。

それから思い直して考えたこと

自分が受けてきた指摘を鑑みると共感能力はあまり高くない(どころか低い)部類だと思い直した
「人の気持ちを考えろ」と「その言い方じゃ友達無くす」はよく言われるのであった。仕事や学業に支障が出るんだから気をつけるべきだと自分では思っているんだが……。

つい最近まで「Fe優位だから(人の気持ち=コンセンサス)が分かる筈なんだ!うまく伝えられないだけなんだ!」みたいな理屈捏ねていたのが、自認を疑うことでスッキリした感じがある。もう少し言うと下位だからこそ「そういうの分かっておかなきゃいけないのに!」みたいな思いがあったのかもしれない。
上位だったらFeで悩むにしろ使いすぎ故の悩みか「もっと上手く周りと調和したい」になる気がする。

その割に小説読むと泣くんですよね。ちょっとした主人公の苦難でもいちいち泣く。

感情重視の回答が出るのは、上記由来の学習と知的怠惰由来の差別を嫌悪しているからである。
率直に言うと「人の能力なんて一面から測るなんて無理筋なのに、特定の数値が低いだけで友人関係から振り落とすのって○○ダナー。尊敬できるとこ一杯あるのになー見えてる世界狭いなー、うん」って感じになる。実際問題コンセンサスの理解はメチャクチャ弱い。だからこそ生きるためにめっちゃ気をつけている。

特定の属性に優劣が存在することと、その属性を持つ人間に優劣を与える(=判断)は別物と思うのだが……。相手の気持ちを考えられるとされるF型を自認(あるいは私からもそう見える)人がこの手の判断をバシバシやっているのを見ると驚いてしまう。

自分の事を認めない人間は好きになれないですね。でも認められないのには理由があるので「好きになれない」だけです。(間違っているとはジャッジしません)
でも推しを認めない人は【自主規制】と思っちゃいます。

いくら倫理的とされる規則でもそれが人を苦しめる(あまりにも効率が悪い)なら糞食らえと思っちゃうので、多分他人から見るとちっとも倫理的じゃないと思われているんだろうなあとか考えていた。

自分の「正義感」がどこから来ているのかはいまいちわからない……というか多分理解されないから書く気もなかった。
所謂「悪」って、何らかの理屈をもって特定の人や属性に不利益を押しつける現象を言うのだろうと思う。そこのコンセンサスが理解しきれず学生時代は何度も場を凍らせたので色々学習した。哲学書を読み漁っている。

これは持論なのだが、あらゆる面から見ても正しいとされる論理などどこにも存在しないと思っている。つまり、誰かが正しいと思って振りかざす論理は誰かにとっては正しくないのだ。そこで統計なりを持ってきて説得力を高めようと試みるのだろうが、究極的にはどうやっても外れ値的存在が出てきてしまうのです。しかも粗雑な論理/統計であるほど外れ値は増える。

じゃあ外れ値や他の面をいちいち気にしていたら何もできないじゃないか!と言うのは当然であり、そこに対して活躍するのが感情や実際の状況への配慮、すなわちFeやSe的な概念であろう。自分はここを端折って話しがちであったため、よく「友達無くすぞ」と言われていた。実際、友達無くす言動ばかり繰り返すと組織行動自体ができなくなるというもので、大変問題だと分かってきたのだ。(学業にも支障が生じた)
政治家ってすげーよなと思うのはその辺。

「一点の曇りもない論理」が仮に存在したとしても、それを突きつけていったん従わせたところで、結局不満がたまって叛旗を翻されるか受動攻撃を食らい効率が落ちるかのどちらかになるとしか思えないので、基本的に押しつけそのものに反対気味。
不完全な論理を敷衍するためには、上手な心理操作が必要だと思います。

毒をもって革命を起こそうとする発言が叩かれると決まって発生する擁護を見ていると、「そういう心理操作の努力をサボって「論理(しかも不完全な)」で押し切れると思い込んでいる(あまつさえ押し切れない相手を貶す)のはちょっと違うんじゃないか?」と思うのです。

自分が人間(心理)を必死に分かろうとしているなかで純粋(な)論理だけで勝負しようとしていることに妬みがあるかと言われたら否定はしません。


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