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夢幻鉄道━キラキラなせかい

 僕は今日も、順番が来るまでお気に入りの絵本を読む事にした。3冊のうちの、まずピンクのクマが主役の本を選んでページを開いた。
 綺麗な世界が広がっている。僕はこの絵が大好きだ。出てくるキャラクターはみんなかわいいし魅力がある。クマはおっとりしているだけに見えて、実はとんでもなくかっこいい。友達を助けるシーンはいつ見てもワクワクするし、憧れる。

 物語がいよいよクマの活躍するページまであと一歩という時に、名前が呼ばれてしまった。僕の番だ。お母さんに「さあ、行くよ」と声をかけられた。渋々本を鞄に戻し、立ち上がった。

 扉を開けると、お医者さんと看護師さんがいた。お医者さんはおばちゃんせんせいで、僕が赤ちゃんの頃からずっと診てくれている人。今日の看護師さんも名前はわからないけど見覚えはある。どっちの人も凄くやさしくて好きだ。

 椅子に座り、Tシャツを上にあげてお腹にある手術の跡を見せた。そっとせんせいの指が触れる。冷たくてヒヤッとしたのは内緒。
「お腹は最近痛くないか?」や、「変わった事はないかな?」という質問に答える度に、せんせいはパソコンに何か文字を入れていく。

 もう何回ここに来たのかな?

 きっと、数えきれない位来ている。
 だからこの後何があるかも知っているし、それを考えると嫌になる。しなくていいならしたくないけど、そうはいかない。そわそわしたこの気持ちを悟られないよう、くしゃっとした笑顔を作り、壁にあるアニメの絵に意識を飛ばした。

 「好きな食べ物って何だっけ?」と言いながらせんせいが注射器を手にすると、僕は手を差し出した。「ホットケーキだよー」と話している間に嫌な時間は終わった。ほっとする。すぐに伝わらない位小さく一息ついた。朝からずっと憂鬱であった試練を達成出来た。本当は「やったー」と叫びたい。
 「頑張ったね」「すごいー」みんなに言われて凄く嬉しいのに、僕は「そう?別にこれって普通だよ」という感じで「うん」とだけ言った。この心の動きはバレていないはず。大丈夫、大丈夫。

 検診が終わると、僕らはエレベーターで別の階に移動した。そこに入ると、もう友達のエル君が待っていてくれた。
「久しぶり!」
「久しぶりだねー」

 嬉しくて大きな声をあげた。エル君も喜んでくれている。嬉しい。エル君のお母さんもいた。

 エル君とは僕も入院していた時に仲良くなった。外で遊べるのが一番だから、今回も「退院したらどこに行こうか?」と相談しあう。僕が行きたいのはクマがいる大きな森で、エル君は青い海に行きたいらしい。エル君は世界中の海について詳しくて、よく写真を見せながらどんな魚がかっこいいか教えてくれた。そんなエル君に、近々大きな手術が控えていると打ち明けられた。
 僕は「絶対大丈夫!」と励まして、来年にみんなで海に行く約束をして笑顔で別れた。

 そう元気よくバイバイしたけど、帰り道を歩く僕の心の中は不安でいっぱいだった。          

 エル君、大丈夫かな、無事、乗り越えられるよね、きっとまた会えるよね。

 家のチャイムが鳴った。
 ドアを開けると、エル君が立っていた。
「あれ?もう退院したの?」
「うん、そうだよ」
「手術はどうしたの?」
「大丈夫。それより、海に行こうよ?」

 エル君はそう言って僕の腕を掴んだ。
「え、今から?」
「そうそう!」

 そのまま僕は家から出た。
「ちょっと待って、お母さんに言わないと」
「いいから、いいから」

 エル君は僕の手を握りながら走り始めた。あまりにも楽しそうにしているから、途中で僕も「まあ言わなくてもいいか」と思った。

 しばらく走ると僕らは広い公園に入った。お家の近くにこういう所ってあったかな?見覚えのない道がしばらく続いた後、突如線路が現れた。
 そして、すぐに電車が目の前まで来て停車した。僕が驚いている間に、エル君は迷わず中に入ってしまった。戸惑いつつも、どこに行くかわからないまま僕はエル君の後を追った。

 車内はとても静かで、エル君がどこにいるかすぐにわかった。一人、窓の外の景色を見て「すごーい」と声をあげていた。隣に座り、同じく窓を見ると僕も叫んだ。
「すごーい!」


 青い海がすぐそばに広がっていた。キラキラと水面が輝いている。海が大好きなエル君が叫ぶのもわかる。好きがエル君よりも劣る僕でもこんなにワクワクしているのだ、きっと僕の何倍もワクワクドキドキしているはず。

「そろそろ降りようか」 
 エル君が席を離れた。
「いいけど、ここって駅じゃないと思うよ?」
 ドアに目を向けると、何故か開いていた。エル君が外に出て行く。まわりの人は誰も出ようとしていない。置いてけぼりが怖くて僕は急いだ。

 エル君はすでに膝下まで海に浸かっている。
「こっちにおいでよ、気持ちいいよ」
 海に入ると冷たくて気持ちよかった。強い日差しによって熱くなっていた体が癒される。足のすぐ近くには青い魚が泳いでいた。
「海、きれいだね。お魚もいるし」
「そうだねー。見たい生き物はいる?」
「僕はウミガメに会いたいなー」
「ウミガメだね、すぐそこにいるよ」

 エル君が指を指した先に目をやると、小さなウミガメが顔を出していた。
「すごい!かわいい!」
 まさかウミガメにも会えるとは思わなかった。かわいいウミガメが優雅に泳いでいる。
「向こうには何がいるかな」
 僕らは浅瀬を、水しぶきを飛ばしながら全力で駆け抜けた。黄色い魚や、赤い魚、ほかにも色んな種類の魚が見える。エル君と約束していた事がこうやって実現して嬉しい。エル君、元気になって良かったね。こうやって一緒に力いっぱい遊ぶのって初めてだね。エル君、楽しいね。森もいいけど、海も楽しいね。海が僕も大好きになったよ。

 どれだけの時間遊んだかわからないけど、ふとお腹が空いてきた事に気がついた。それを伝えると「そうだね、そろそろ帰ろうか。ありがとう」と僕らは遊ぶのをやめた。

 少し歩くと、停まっている電車が視界に入った。僕らは車内に飛び乗り、空いている席に座った。ほかの席は人で埋まっているけど、またしても静か。みんな、友達同士ではないのかな?

 こんなに素敵な海があるのに、ワクワクしないのかな。そうやって隣の席などを気にしていると、そっと肩をたたかれた。エル君だ。
「ねえ、お家に帰る前にさ、僕について来てくれるかな?」
「いいよ、エル君のお家に行くの初めてだね。僕のお家の近くかな?」
「帰るのは家じゃないんだ。病院に一緒に来て欲しいんだよね」
「病院?え?まだ入院していたの?」
「うん、そうなの」
「入院しているのに抜け出していいの?沢山走ったけど、大丈夫?」
「大丈夫だよ」

 エル君は退院していなかった。そうだとしたら走って大丈夫なハズはない。一気に心配になると、電車がゆっくりと動きを止めた。もう到着したのかな?と窓の景色で確認しようとしたけど、真っ暗でわからない。トンネル?地下?それとも夜になってしまったのかな。
「さあ、降りようか」
 どうやらここが目的地みたい。
 降りた先は駅ではなく、病院の廊下だった。どうなっているかわからず頭の中が混乱した。しかもここはエル君の入院している階だ。
 見覚えのあるアニメのキャラクターが壁に飾られているからすぐにピンときた。

「よくわからないけどすごいね」
「うん。今日はありがとうね。一緒に海に行けて嬉しいよ。願いが叶った。もう大丈夫」
「楽しかったね。けど、もう大丈夫って?」
「もうすぐ手術なんだよね。けど、正直に言ってうまくいくかわからないみたい。お母さんやせんせいは僕にはっきりとは言わないけど、わかるんだよね。こういうの、わかるよね」

 エル君は無理やり少し笑った。
「そ、そうだよね。色々わかるよね。わからないふりを僕もしているけど」
 いたい程その気持ちがわかる。笑うけど心は笑ってなんかいない。だから今日海で見せたあの笑顔こそが本当のエル君だ。エル君には、心から笑ってほしい。こんなにずっと頑張っているのだ。
「うん、だから、こうやって海に行けて満足しているんだ。ありがとう」
「けど、待って、また行こうよ?」
「どうかな、その時は僕を心の中で呼んでね。来れたら来るから。僕の事、忘れないでね」
「忘れるもんか。絶対、一緒に行こうね」
「行けるかな」
「行けるよ。行こう。どんな生き物に今度は会いに行く?」
「そうだね、マンタとか、かわいい魚とか、またウミガメにも会いたいな」
「会おう、会えるよ」

 僕は「会おう」と言うけど、「頑張ろう」とは言わない。エル君がこれまでどれだけ頑張ってきているか知っているから。たくさん、たくさん、頑張っている。「頑張ろう」以外の言葉をかけたくてほかの言葉を頭の中で必死に探すが、ぴったりな言葉が出てこない。言いたい、このままはダメだ。

 エル君の見たい生き物を今すぐに見せたくなった。じゃないと、もう二度とエル君に会えない気がした。それは絶対に嫌だ、お願い。
 目をつぶってそう祈った。

「わー!すごーい!」
エル君の大きな声がした。あわてて目を開けると、壁の一角に海の写真が現れていた。もう僕は驚かない。写真にはエル君にこれまで見せてもらった海の生き物が沢山写っている。
「病気退治して、一緒に見に行こう」
「うん、行きたい」
「行こう、約束だよ」
「うん、約束しよう、がんばるよ」

 手と手をとり合った。

 すると、写真のない壁の色がペンキが剥がれる様に落ちていった。
「そろそろ終わりみたい。さあ、電車に乗って。僕はもう大丈夫だから」
「うん、わかった。海にまた行こうね」
「うん、行こう」

 エル君が笑顔を見せてくれた。もう弱々しくない。きっと大丈夫、だから僕も笑う。
 
 電車に乗り込むとすぐにドアが閉まった。窓際の席に着くと、車掌さんが近づいてきた。

「楽しかったみたいですね、大丈夫、手術はきっとうまくいきますよ。あの海の写真、キレイでしたね。友達が喜んでくれるって嬉しいですね。友達って大切ですね。いろんな所に行きましょう」

 うん、きっと大丈夫。
 いろんな所に一緒に行きたい。
 行こう。

 おわり

 読んでいただきありがとうございます。

 

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