ヒハマタノボリクリカエス 12

 家に入るのを私が躊躇するとわかっていたようだ。
 家に着くと、ハルはさっさと先に入ってしまった。それだと続くしかないってものじゃん。
 今日もやっぱり靴を脱がずに家の中を進んでいく。
 またも違和感がある。そんな私は日本人。
 誰の声もしない。
 ユキさん、いるのかな。
 白い廊下。
 タカシはいるのかな。
 何かタカシに会うのって気まずい。
 だって連絡がきても返信していないし。
 ハルが扉を開けた。
 この前ハル達がいた部屋。
 いた。
 ユキさんがいた。
 ソファに座りながら、窓を眺めていた。
 ん、もしかしてテンションゼロ?
 ユキさんはけだるそうにタバコを吸っていた。
 形式的な挨拶を交わす。
「久しぶりだね、ミホちゃん」
「お久しぶりです」
「ユキ、俺シャンプー浴びてくるから」
「オッケー。ミホちゃんも今日行くの?」
「行く?これからどこか行きますか」
「あれ?ハル、何も話していないの」
「あ、忘れていた。ミホ、今日これから暇?予定とかある?ないよな?」
「ない、けどどこか行くの?」
 どうせ彼氏も遊びたい友達もいないから暇だ。
「決まりだ。ユキもいいよな」
「私は全然問題ないよ。ほら、早く浴びてきなよ。汗くさい」
「はいよ」
 ここ、タカシの家だよ、ね。
 タカシは?
 タカシの許可はいらないのだろうか。
 ハルが部屋から出ていき、二人だけになってしまった。
 一瞬にして気まずい雰囲気にはなっていないだろうか。
 何を話せばいいのだろう。
 そう戸惑っている私をよそに、ユキさんはタバコの煙を吐いて遊んでいる。
 その左腕には無数の傷があった。
 今日は腕が露出している。
「あ、これ驚いた?ごめん、やばいよね」
 ユキさんは私の視線に気づいてしまったみたい。
 しまった。
「いいえ。あの、私ウツです」
「そうなのね。一緒だね。私もそうだよ。私の場合、どっぷりはまっているけどね。リスカって見るの、初めて?」
「一緒ですね。でも、それは見るの、初めてです」
 ネットとかテレビの世界だけのものだと思っていた、リスカ。
 ユキさんは隠すどころか、頼んでもいないのにタバコを灰皿に置いて両腕を披露してくれた。
 左腕の方がとくにひどいようだけど、どっちにも無数の傷がある。傷の上にさらに傷をつけているところもある。おそらくもう完全には消えないであろう深い傷跡。最近つけたものもあった。赤くはれている。左腕の手首には包帯を巻いている、現在進行形。
「私の場合、見てのとおり、リスカからアムカにいってしまっているけどね。医者にもよくないって言われていて、ふとももにしてみたけどやっぱり腕じゃないとだめなの。どうしてだろう。わっかんない。ミホちゃんはしていないよね。絶対したらだめよ。お嫁にいけなくなっちゃうよ」
 どう返事をしたらいいのだろう。
アムカって腕?
「やると、気持ちいいのです、よね?私はしていないけど、自分の体を傷つけたくなりますから、わかります」
 はい、嘘をついています。
 ウツだけど、そんなことはまだ思った事ありません。これから先はわからないけど。
 ウツってリスカしたくなるのかな。
 じゃあ、私もいずれ。
「気持ちいいってわけじゃないけど。んん、安心、するのかな、血を見ることによってさ。うまく説明できないな。だって、この腕みてよ。最初はこんなんじゃなかったよ。傷もそんなに残らなかったし、リストバンドで隠せる範囲だった。それが今はもうバレバレだしね。ああ、これでも後悔しているよ」
 告白しながら、ユキさんは携帯を鞄から出した。キラキラ装飾された携帯。片手で少しいじってから、画面を私にみせた。
 リストカットした直後らしい写メ。
 血にまみれた左手首のアップ。
 その写真の題名は「血と雨」
「これ、私のブログ。ほかにも詩とか載せているの、みる?」
「は、はい」
 しかし、ユキさんの詩はちっとも理解できなかった。
 どうやら、私はそういう感性を持ち合わせていないみたい。ユキさんの詩を読んでも何も感じられなかった。
 愛想良くあたりさわりのない感想は述べておく。
 目の前にいるユキさんが別世界の人間みたいに思えた。
 リスカ、アムカ。
「テツにはリスカとか止められているけどね。どうしよう、また嫌われるかな。こんな私でも薬量は減っているよ。やっと一日七錠になったし」
 クスリ。
「あの、これからどこに行きますか」
「内緒。おたのしみだよ」
 どこに行くの。教えて下さい。

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