あの日の僕(第6話)━のび太

あの日の僕(第6話)━のび太

どんな子供だったか?はドッチボールの時に最後までどっちのチームに入るかわからない位、僕は運動が苦手で、クラスの中心にいなかった事でわかる。いつも一番外からクラスメイト達を見ていた。適度にふざけたりはしていたけど、クラスの序列的には最下位の部類であったと思う。バレンタインの日なんて悲惨。絶対にもらえないとわかっているのに、そっと下駄箱を開け、教室の自分の椅子に座ってゆっくりと机の中に「あったら良いな」と淡い期待を抱きながら手をいれていた。そして、結局ちっとも貰えずのまま、平静を装いながら家路に着いた。全然モテなかった。明るい奴、スポーツが得意な奴がチョコを貰っているのが凄く羨ましいが、ただただその姿を見ているしかなかった。

コンプレックスだらけの自分。
勉強も、運動も苦手。歌も音痴。何1つ「かっこいい」所のない自分。外見にも自信なんてない。一度としても他人に外見を誉められた経験もない。あまりにも外見に自信が持てず、僕はあまり自分の顔を鏡ではっきりと見ようとしなかった。

僕はそんな自分をドラえもんの「のび太くん」のようだと思っていたけど、僕にはドラえもんがいなかった。せめてドラえもんはいて欲しい。ドラえもんのいないのび太くんが、どれだけ生きるのが毎日しんどいか想像しやすいだろう。

いくら待ってもドラえもんは未来から来なかった。試しに机の引き出しを開け閉めしたのは一度じゃない。苦手な事だらけの学生生活。歌を歌えば絶望的な下手さ、サッカーも、ソフトボールも苦手。鉄棒や跳び箱なんてもっと出来ない。試練は毎日続く。何をしても、周りより上にはいけない。どうしてこんなに能力が劣っているのだろう?嘆いては落ち込むの繰り返し。この時はこれで何でも終わっていた。大人になる前に「努力が足りない」というのと「他人より何倍も努力をしないと出来るようにならない人間」だと気づいたけど、この時はまだわからなかった。努力をする前に、嘆いて終わりに慣れていた。「どうせ無理」という考えが当たり前。そりゃあ、モテないよね。この時に今の頭のまま戻ったら人生大きく違っていたんだろうね。まあ、タイムマシーンは今にしか戻れないから、この頃の僕には戻れない。こういう経験をしたから今があると思っている。こういう経験も、後からいくらでも「意味」をつけられると知っている。努力の無限の可能性に気づくいい体験だ。こういう経験をしたからこそ、色んな人の気持ちがわかると思っている。まあ、けどしなくてよかったらやっぱりしたくはなかったけどね。見た目より中身が大事とは言うけど、見た目も大事だと身を持って感じた時代。

長い長いトンネルの中を出口もわからず歩いていた。その先にどんな日常があるか期待なんてせず、次から次と目の前にふりかかる困難に飛び込んだ時間。あの頃は良かったと言えない景色。どうせずっとこのままなんだろう。たまに未来を夢想してみる位で、僕はあまりそれを考えなかった。未来はそんなに明るいものではない事だけはわかっていた。テレビに映る人たちが楽しそうにしている理由がわからなかったし、自分もそう楽しく生きたいのに、どうやってもそうはなれない気しかなかった。のび太はずっとのび太だ。

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