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いい写真 とは(あなたが決める)

≪きらきらと 自己紹介の女子たちが 誕生石に不満を述べる≫ 穂村弘

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わかるなぁ。私はオパールというちょっと聞きなれない宝石で。
友人はトルコ石で、とても嫌がっていた。石じゃん!て。20数年前。

最近ぱらりと本をめくり、ぱっと目に入ったこの短歌を見たとき、これは写真ではできないのでは、と思った。
(どうだろうか)

実際は過去の記憶。
しかし歌の中では主体として小学生の視点になっている。まるで今のよう。

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椎名林檎が「だって写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない」と歌った。
写真に撮られたら、その中でその瞬間はいつまでも今のままだ。
生きている私たちが、写真を置いて、未来へと動いていく。
撮った1秒後から、写真はまぎれもなく生きている私たちにとって過去になる。

写真は、必ず取った人は今にいる。
今よりも過去を過去のまま持ってきて、今にすることはできない。

いい写真、とはなんだろうか。
ふりかえればこの3か月で、私の写真へのとらえ方は大きく変わった。

いい写真とは。

見ているあなたが「いい」と「決めた」写真のこと。

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今、私はそう思う。
わたしたちは、わたしたちだけの尺度で、自分たち自身のためだけに、決めていい。

だれかの「いい」が自分の「いい」と異なっていることは何の問題もない(意図的に傷つけなければ)

数字で測れる「いい」は、写真には存在しないと思うから。

あなたにはあなただけの「いい写真」がある。自分が撮ったかどうかも関係ない。

この世にはたくさんの「いい写真」があるからこそ、
本当に自分も「いい」と思ってるのかどうか、
どんな理由で「いい」と思っているのか、
そして「いい」と「決める」ことで、わたしや誰かが何か得られるか
常に考えていたい。

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ほんの少し、条件のようなものを添えるとすれば。
「未来の誰かが、その写真に何を想うか」
その人が誰かは問わないし、人数も問わない。もちろん、自分でもいいんだ。
未来の人たち(そこに未来の私も含む)にとって、過去はどれだけお金を出しても苦労しても、届かない場所だから。どれだけ愛しくても、思い出も記憶も時間の力で忘れていく、消えていくものだから。

過去があるからこそ、未来の私はどこかの最後まで生きていける。
未来の私は過去の私なしではありえない。
未来のわたしは、過去を欲し、なつかしむ。過去のありがたみ。触れてしあわせなきもちになる。
謎の確信がある。

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だって昨日が昨日になってしまったことでさえ、こんなにも切ないんだ。

3か月前の、たまごを食べたくないと泣いた娘は今はもうどこにもいない。
もう食べられるようになったから。ぱくぱく。

目の前の子供は、ものすごい勢いで成長し、変わっていく。
一瞬一瞬さえも、一分一秒さえも、その成長の一部だ。

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私にとっては、それがまぶしく、うつくしく、いとしく、大切だから。

ただただ「いい」と思うし、私にとって「いい写真」と決める。そしてそれを撮り、結果として未来へ贈っている。
だから家族を撮る、家族と共に生きる今見ているものを撮る。

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撮れない時間もたくさんあるけれど。
それでも少しでも、今を掴めますように。
祈るように。


2020年11月、
まなざしフォト部2期に幸運ながら参加することができました。
ことばにできないすばらしい時間をいただきました。
部内で「いい写真とは」を考える課題があり。このnoteを書きました。

ご一緒したみなさまのおかげで、3か月前と比べて「今」の私と「未来」の私の世界は、確実に変わりました。

部員の皆さん、
顧問の相武えつ子さん、
主催のサカモトハウスさま、
愛のあふれた世界を、本当にありがとうございました。

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