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スイス建国記念日🇨🇭と時代の流れ

8月1日になるとスイスCH、【ウイリアム・テル】建国の物語を思い出す

8月1日はスイス建国記念日です。初めてスイスに行ったのはドイツで語学学校に通っていた頃、確かあれはシュベービッシュハルから列車を乗り継いで行ったのです。子供のころにテレビで観た【アルプスの少女ハイジ】に憧れてマイエンフェルトに行きました。ローカル線を乗り継いで降り立った地。ハイジの道がドイツ語と日本語で書かれていたことにとても驚き、それほど日本人が訪れるんだな、と感じた記憶。ハイジの家までの道のりはまるアニメで観た通り村人が世間話をしなが集まっていたあの井戸なのかな?わくわくしながら道を辿ったのです。途中ブドウ畑が広がりマイエンフェルトの村はワイン造りが盛んなことも歩きながら知ったのでした。

それから、日本に帰国して就いた旅の仕事。ご縁ありスイスは何度も行くことになりました。8月1日の建国記念の日に滞在が重なることもあり、その度にレストランは大混雑、祝日になりお店は休業。一度だけチューリッヒで建国記念日に街を歩いたのですが、街を歩くスイス人は民族衣装に身を包み皆幸せそうなお顔をして家族、友人などと一緒に歩く姿が印象的でした。

今でこそ経済的にも豊かなスイス。しかしながら歴史的に非常に貧しいお国でした。スイスのお話は長くなるので何度かに分けてお話したいと思いますが、人は食べることが必要。その食べ物を手に入れられるかどうかが重要です。ヨーロッパアルプスの山国のイメージ通り、スイス南部を中心に山がちな地形。気候的にも南のイタリアのようにいつでも太陽さんさんと降り注ぐ土地柄ではありません。限られた平野部に畑を作り、また酪農で山の斜面を利用して放牧し、牛からとれるミルクでチーズを造りそれを輸出する。細々とした生活。貧しいがゆえに考えられたのは【傭兵で外貨を稼ぐ】手段。スイスの男性はイタリア各国(まだ中世の頃はミラノ公国・ヴェネチア共和国・フィレンツェ共和国などに分かれていました)、フランスもお得意さんでしたし、ドイツ系の国々(ドイツも大小様々な国々に分かれていました)

【傭兵】の最もお得意さんは『ヴァチカン』法皇様のところでした。それ以外も歴史的に続いてはいましたが、ある時を境に『ヴァチカン』法皇様以外の地へ派遣することを止めました。

それはフランス大革命の時代、パリ・チュイルリー宮殿でルイ16世とマリーアントワネットの国王一家を守るために革命軍相手にしたスイス人傭兵の壊滅的な戦いでした。スイス中央部にある街ルツェルンに『瀕死のライオン像』の記念碑があります。それは自らが傷つき息も絶え絶えな状態でもフランス王家の白百合の紋章の盾を必死に守ろうと手にするライオン像です。デンマークの偉大な彫刻家トーバルセンの作品です。私はコペンハーゲンで彼の彫刻博物館に足を運んだ時、このライオン像が展示されていたので直ぐにルツェルンの記念碑を思い出し感動したのでした。ルツェルンにあるこのライオンの記念碑フランス人観光客と一緒になったことがありますが、日本人の人含めアジア人より、ガイドさんからの説明を真剣に聞き入っていたのを思い出します。歴史的背景を知っていればより分かりますね。しかし私の場合この説明をする時に熱が入りました。おそらくそれは『過去世』から甦る感情でもあるのではないかと思っていたりしました。

そして、ヴァチカン市国の今もサンピエトロ寺院でカラフルな傭兵服に身をまとう傭兵は今でもスイス人です。スイスは宗教戦争でドイツ、マルティン・ルター同様にチューリッヒではツヴィリングが、ジュネーブではカルヴァンといった人物により宗教改革が行われました。それによりスイス全土で宗教戦争が繰り広げられ、その影響はスイス各地で国を分断する結果になりましたが、過去の歴史でスイス人一丸となりハプスブルク家から勝ち取った、これがスイス建国の物語となるのです。

【ウイリアム・テル】シラーの戯曲として知られていますが、実は史実に基づくお話。スイス建国のヒーローです。

ドイツ語ではWilhelmTell(ヴィルヘルム・テル)スイス中部のビュルグレン村に生まれ腕利きの猟師で妻と子と暮らす平凡な家庭の主でした。ある日隣町アルトドルフへ行き、街の掟を破ってしまします。それは支配者ハプスブルグ家の代官ゲスラーの帽子が高い竿にかけてあり、その前を通る時は帽子に向かって敬礼をしなければならなかったのですが、テルはそれを知りながら無視したことが咎められ、捕らえられます。ゲスラーが「お前の息子の頭にリンゴを乗せそれを射てみよ」と命じられます。テルはそれまでのハプスブルグ家の無謀な執政に抵抗するために、挑み見事にリンゴに矢を命中させます。しかし、もう一本の隠し矢が見つかり「もしも我が子を射てしまったならば、この矢であなたを射るつもりだった」と答えたので、再び捕らわれてしまいました。ゲスラーの屋敷があるキュスナハトへ湖船される中、嵐に見舞われトラブルに巻き込まれた機をみて脱出し、仲間と途中合流しゲスラー一行を弓で倒したのでした。これによりテルは一躍ヒーローになり、彼に勇気づけられた人々は立ち上がり、ついにはハプスブルグ家の支配を逃れ自由を勝ち取った。

このお話がスイス建国の物語になっています。

伝説のお話ではありますが、話の背景が歴史と重なるのでスイス人は限りなく実話に近いとし、テルを尊敬しているといいます。

ハプスブルグ家に抵抗して立ち上がったのが1291年8月1日の3原州同盟誓約スイス建国です。これによりスイスこの同盟へ加盟する州が少しづつ増え現在の23のカントン・州で構成されています。スイスはナポレオンの時代に一時的に中央集権国家【ヘルヴェティア共和国】が作られますが、その後すぐ連邦国家になっているので、ハプスブルグ家からの支配を脱した後は一つに権力が集中することを嫌い、常にカントン・州の単位で国を構成する連邦制を好んできました。誰かに支配されるなんて!皆平等で暮らそう!王様や皇帝という権力の下に支配される形式を排除してきたお国です。

今の現代の占星術的な流れを見るとまさにスイスのような流れになっていくようですね。これまで続いた社会構造、牡牛の【地】のヒエラルキー構造の時代から水瓶座【風】個性を生かし横のつながりが重要になっていく仲間とつながりながら、個を大切にする時代へと進んでいきます。

これからは個人の自分軸が重要になる時代です。貴方の強みを生かしこの混乱したカオスな時代を生き抜くためには【本当の自分である】ことが重要です。自分を知り自分だけの人生をクリエイトしていくには【アデプトプログラム】が何よりもお勧めです。

スイス建国の物語、スイスの歴史を振り返り今の私たちが生きる時代を考えるきっかけになりましたら幸いです。

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