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栄転、また挫折、そして海外逃亡へ・・・ ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~

前回の投稿では、苦しんだ沖縄での社会人生活を終えるところまでを話しました。今回は、東京の研究所に映った後の話と、海外移住までのエピソードになります。

かくして脳裏に刻まれた強烈な沖縄の日々は過去となり、東京の研究所での新生活が始まりました。

ようやく東京で社会人生活を始められ
暗号の研究開発ならば、未経験だったプログラミングが習得できるチャンスがあるかもしれない!と、当時は意気揚々な気持ちでした。

しかし、待ち受けていた現実はそんなに甘いものではなく・・・

勿論、研究論文をたまに読んだり、研究者と連携を取り仕事をする事もありますが
基本的に僕の仕事は、絵を書いてそれを下のベンダーに流すという、所謂、上流SEに近い仕事でした。

しかし、プログラミングの知識が無い僕が、上流SEとして綺麗な絵を書けるはずも無く・・・
上司からは使えないやつと叱咤され、ベンダーからは舐められ、両者の板挟みになる日々。
「自分は使えない奴」という思いに駆られ、自分の中の士気がどんどん低下していくことに。

加えて周りには
論文好きで、ご飯を食べている時も数学の問題を解いている方、
集中すると真っ直ぐにしか歩けず、猪のように壁にぶつかる方など、

研究所はまさに瓦礫の塔。
一般的には少しズレた感覚の方も多く

更にラボの中は陽の光が当たらず、常に暗い場所。
そんな所に隔離され続けることで、僕の憂鬱は加速していきました。

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そんな折、

元々、外資で英語を活かした仕事がしたい、その中でもIT分野で世界のトップだったマイクロソフトは、その誕生秘話からも強い憧れの会社で
密かに転職のチャンスを伺っていました。

実際にマイクロソフトのインタビューには挑んだものの、プログラミングが出来ない所為で惨敗。改めて現実の厳しさを知ることに。
やはり自分はエンジニアとして無力だと思い知らされた瞬間でした。

だんだん覇気も自信もなくしていった僕がふと思い出したのは、沖縄の最後の海外研修生との日々。
沖縄の地で「海外で働きたい」という気持ちが芽生え、その時の衝動を抑えられなくなってきたのがこの頃でした。

また、その頃会社で「人生ロードマップ」なるものを書かされ、このまま会社に定年までいた際に待ち受けているイベントを整理してみると、余りに平凡な人生が待ち受けているのがわかり、大きな戸惑いを感じました。

「人生一度きりなのに、これでは誰か他人の人生を生きてるみたいだな。いや生かされているな」

と。別に注目されたい訳でも、有名になりたい訳でも無い。
この人生も悪くないかもしれない。というかむしろ世間体は良いだろう。ただ、以下の質問を自分に投げかけた時に戸惑いを感じました。

「このまま生きて、死ぬ前に自分は本当に後悔しないのか?」

「他の誰かと同じように生きて死んでいくなら、俺の存在価値は何なんだろう?」

そんなことを強く思うように。
と、同時に、どうしても海外で働きたいという夢を抑えられなくなりました。
進撃の巨人ではないですが、どうしても塀の外を見てみたいという気持ちが強くなったのです。

自分の内なる想いに気付いた僕は、調査を開始。
ヨーロッパであればIT系の仕事のビザが降りやすい事実をつきとめ、某日本企業のヨーロッパ支社に複数転職活動を行うことに。

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結果、ドイツ、フランクフルトにある某日本企業からオファーを頂き、海外移住の切符を手に入れることが出来たのです!

しかしこの頃、自分は

『現地社員と駐在員という身分の差』

について、その重さを何も知らず
安易に海外逃亡の道を選んでしまいました。

(後に嫌というほど理解することに・・・)

これが人生で初のヨーロッパで、初の海外移住生活。
こんなに安易に逃げの気持ちだけで選んでしまったので、不安もあったのですが、海外に移り住むワクワク感には勝てませんでした。
まさに典型的な安易な海外逃亡だったと、今振り返ると思います。

妻とも何度も話し合いましたが、こんな経験はやれるとしたら今が最後だという結論になり、結果ドイツ行きを決めることに。

さて、余りに猪突猛進で海外移住に踏み切ってしまった僕は

最後の日本での生活へ感傷的に・・・なることもありませんでした笑

そのままその日はやってきて、僕は成田を後にすることに。
しかし、成田を後にしてから、僕の衝撃と不安は始まっていくのです。

成田からドイツに行くために、まず経由地の上海で1泊することになった僕。
そこで上海の街のなんとも言えない混沌具合と、泊まっていたホテルの部屋がいきなり浸水して水浸しになった事で、これからの海外暮らしに大きな不安を抱きました・・・。

正に『出鼻をくじかれる』思いをしながら、まだドイツにもついていない地で

海外で生活することへの厳しさを
実感していくのでした・・・

続く・・・

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