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人生に、サイドブレーキを。 〜スローダウンのすゝめ〜

ハンドルを握ると性格が現れる、などと言います。たしかに車を運転していると色んなドライバーがいます。速度をあまり出さない人、急ブレーキを踏みがちな人、道路に進入しようとする車に道を譲る人、などなど。

なかには危険な運転をする車も見かけます。ぶつかるのではないかというくらい前の車を煽ったり、無理な追い越しを繰り返したりと「何をそんなに急いでいるのだろうか」と首をかしげるような場面にも出くわすことも少なくありません(ちなみにそんな時は「トイレを我慢しているのかな」「田舎の親が危篤なのかな」とか適当な理由をつけてやり過ごしています笑)。これはドライバー個人の問題なのでしょうか。

現代は競争社会だと言われています。生まれたそばから順位や成績がつきまとい、上位に位置する人は褒め称えられます。また、合理性やコスパが重視されるため、同じことをするなら時間や費用が少ないほうが良いとされます。

もっとも、これらは現代にかぎったものでもなさそうです。他者より優位に立つこと、資源を有効に使うことは生存するために重要なことですから、旧石器時代に遡ったとしても、この側面は変わらないでしょう。

そうすると、この側面がヴィヴィッドに映るのが現代である、と考えることもできそうです。おそらく、平和に生きられる社会の土台があるからこそ、これらの側面が不自然に浮いて見えるのではないかと思います。

アクセルをべったり踏み込めば、他者を追い抜いていくことができます。
そのたびに一種の高揚感や優越感を得ることもあるかも知れません。(それらを感じずとも、「抜かされた」ときに何か感情が動いているとしたら、それは同じことなのでしょう。)しかし、加速すればするほど、車線変更を繰り返すほど、事故のリスクは高まります。視界は進行方向を中心に狭まり、周囲の景色も線のように流れていってしまいます。事故をしてからでは後の祭り、取り返しはつきません。

僕たちは、そこまでの競争意識を持たなくてよいのかも知れません。そこまでの合理性・コスパ意識を持たなくてよいのかも知れません。そもそも、そんなリスクを賭けるほどの目的地、順位、一分一秒なのでしょうか。

アクセルをゆるめてみませんか、と提案します。
減速しましょう。そうすれば、急な歩行者の飛び出しにも対応できます。環境の変化に十分対応し、安全に運行できるのです。
減速すれば、周囲の景色を楽しむこともできます。ときには停車して、外の空気を味わったっていいと思います。

とはいえ、スピード狂のようにどっぷり染みついた志向はそうそう取り払うことはできません。アクセルに引っ付いた足をブレーキへと移すことは簡単なことではないでしょう。ですから、半強制的にスローダウンするサイドブレーキのような装置が必要なのだと思います。これは例えば定時のティーブレイクかも知れませんし、休暇のデジタルデトックスかも知れません。生活のなかに、生き急ぐことを、考えすぎることを、そして競いすぎることから距離をおく時間を意識的に設けることからはじめるとよいかと思います。

ぼくは約一年間の修行がサイドブレーキとなりました。東京と、利益追求と、液晶画面と距離を設けたことで、心が穏やかになりましたし、静かな生活のなかでの変化をとらえることができるようになりました。

加速しすぎた人生をスローダウンしましょう。

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