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不登校 〜負けママの奮闘記〜4 『長男、不登校になる』

ここからは、子どもたちが不登校になるまでのお話をしたいと思います。

長男は、幼稚園の頃から自閉症の特性が強く、騒がしさや人混みが苦手でした。感覚が過敏で、食感などにもこだわりが強かったため、給食が食べられず、毎日お弁当を持たせていました。幼稚園は子ども達の声で常に賑やかなので、耐えられなくなると、教室から逃げ出して這うように静かな場所に移動していた、と様子を見に行ってくださった子ども発達センターの先生に聞きました。かなり無理をしていたようです。

教育委員会の就学相談では、特別支援学級に通うのが良いだろうとのことで、学区内の公立小学校の特別支援学級(自閉症・情緒障害学級)に入学しました。しかし、その当時の特別支援学級の担任の方針(もしくは学校の方針?)は、「特別支援学級は、あくまでも通常学級に戻す(居られるようにする)ことを目標にしています!」というものでした。

その方針のもと、長男は特別支援学級の教室に居ることはほとんどなく、1学期のはじめから交流学級と呼ばれる通常学級に入れられていました。長男は、家に帰ってくると何も言わずに普通にしていて、学校が嫌だとか辛いとか訴えることもなかったので、私はてっきり、なんとか上手くやっているものと思っていました。

ところが、しばらくすると長男は登校を渋るようになります。理由を聞いても、うまく説明できないようでした。自閉症スペクトラムは、コミュニケーションの障害です。母親の私にも、なんとも言えない学校での居心地の悪さを、うまく伝えることができなかったのでしょう。

毎朝、私はまだ赤ちゃんだった次男を連れて、小学校まで長男を送って行きました。そうすると、なんとか登校するのです。そんな日がしばらく続いたある日の放課後、特別支援学級の担任と、交流学級の担任が連れ立って我が家を訪ねて来ました。突然で驚きましたが、話を聞いてさらに驚きました。

「お母さん、長男君は授業中ほとんど交流学級の教室に居られず、校内をフラフラしているのです。それならばまだ良かった(?)のですが、最近は授業中に交流学級の担任の足元に寝そべって、脚を触ったり、他の児童にちょっかいを出したりするのです。正直困っています。お母さん、どうしたら良いでしょうか。」

本当に困り果てたという表情で、交流学級の担任がそう話したのです。

…だったら、なんで、無理やり交流学級に入れておくの?

と、聞きたかったのですが、ショックで言葉が出ませんでした。何と受け応えし、どうやって2人の担任が帰って行ったのかも、覚えていません。

翌日からも、私はいつものように長男を小学校まで送って行きましたが、ある日、校門の前まで来ると、長男はぱたりと立ち止まり、そのまま膝をつき、道路上で正座をして泣き出しました。校内から、教頭先生が出てきて私に聞きました。どうしたのですか、と。

私は悔しくて、悲しくて、長男と一緒に泣きました。泣きながら教頭先生に聞き返しました。

「せんせい、わたしは、どうしたらいいのでしょうか?」

夏休みが終わると、長男は学校に行かなくなりました。これが、長男の小学校1年生の1学期に起こった出来事です。その後、長男は小学校3年生の終わり頃まで、ほとんど学校には行きませんでした。

ここでの大事なポイントは2つ。

1つは、特別支援学級の先生は、障害児教育の専門家ではないということ。普通の教員免許を持つ、普通の教員です。たまたま、特別支援学級の配属になっただけなのです。そのことで、戸惑っている方も、残念ながらモチベーションが下がってしまう方もいるでしょう。逆に、障害児教育について自ら勉強し、より良い対応を模索する方も、もちろんいるでしょうが、学校の先生はとてもお忙しいので、あまり期待しない方が良いです。

2つ目は、担任(もしくは学校)の方針に疑問を感じたら、その場で伝え話し合うべき、ということです。学校に遠慮していては、私がそうであったように、子どもが苦境に立たされていることにさえも気づかないかもしれませんし、学校にお任せしますというスタンスでは、何も進展しないのです。

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