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不登校 〜負けママの奮闘記〜5 『次男も、不登校になる』

長男に遅れること5年、次男が小学校に入学することになりました。

次男は、自閉症スペクトラム障害の診断を受けていたものの、幼稚園では非常に伸び伸びと過ごしていました。ちなみに、長男の通った幼稚園と、次男の通った幼稚園は別の幼稚園です。次男の特性を考えて、より合っているのではないかと思われた、小規模な幼稚園を選びました。少し遠い上に園バスがない幼稚園だったので、私は毎日電動アシスト付きママチャリに乗って送り迎えをしました。

次男は本当に楽しそうに幼稚園に通っていました。幼稚園の周りには田んぼや畑、空き地がたくさんあり、帰り道もお友だちと一緒に田んぼや空き地でカエルや虫を捕まえて遊びました。この調子なら、小学校は特別支援学級ではなく、通常学級でも大丈夫なんじゃないの?と思うほど、次男はごく自然に、幼稚園に馴染んでいました。

幼稚園が遠かったと申し上げましたが、それは、住んでいる地区の小学校の学区をはるかにはみ出す遠さでした。要するに、同じ幼稚園のお友達は皆んな、隣の学区の小学校に入学したということです。知らない子ばかりの小学校に入学した次男は、伸び伸びとは程遠い様子に様変わりしてしまいます。

1年生の1学期、次男は特別支援学級に籍を置きながら、通常学級にチャレンジするような形で小学校生活をスタートしました。これは、長男の時とは違い、学校側と私たち両親が話し合った結果で、私たち両親も、次男は通常学級で大丈夫なのでは?と期待していたところがありました。

次男は、初めこそ頑張って学校に通っていましたが、そのうち「頑張りすぎる」ようになってしまいます。いわゆる「過適応」という状態に陥ったのだと思われます。

過適応とは、周りに合わせようと無理をしてしまったり、失敗してはいけないとか、こうあるべきと信じる自分であろうとするあまり、過度なストレスを抱えてしまう状態を言います。発達障害の子どもには起こりやすいようですが、長男には見られなかった症状なので、負けママの私には気づくことができませんでした。

1学期中に、初めての授業参観がありましたが、次男はしっかりと席に座って静かに授業を受け、先生の質問に手を挙げて答える場面もあり、積極的に学習に参加しているように見えました。私たち両親は、その姿を見て頼もしさすら感じていました。

次男は、長男と同様に次第に登校を渋るようになります。朝になると頭が痛い、お腹が痛いと言うことが多くなり、なんとか学校に行っても、途中で頭が痛い、お腹が痛いと言い出して迎えに行くことが増えました。学校に行きたくない理由を聞いても、「学校の全部が嫌だ」ということ以外、具体的な理由が語られることはありませんでした。

通常学級の担任との面談では、次男君は非常に模範的な児童で、なんの問題も感じませんし、登校したくない理由も、全く心当たりがありません。と言われました。それこそが、次男の無理の上に成り立っていた過適応の状態だったのでしょう。

次男は産まれた時から私にそっくりです。血液型も同じA型ですし、髪質、肌質、体質などもよく似ています。私自身、小学校の時の不登校にはこれといった理由がなく、どちらかというと優等生タイプだったことを思い出し、次男は小学生の頃の私と、不登校の理由まで似ているのだな、と思いました。

夏休みが明けると、次男も長男と同じように、学校に行かなくなりました。

ここでの大事なポイントは、ズバリ「過適応」です。

過適応の症状があると、二次障害として、鬱やパニック障害を引き起こすことがあるそうです。よくよく考えますと、私自身の不登校前の状態も、過適応だったのかもしれません。

また、次男は小さな頃から「100じゃなければゼロ」というタイプで、妥協ができないところがありました。
周りに合わせなければいけない、期待に応えなければいけない、学校に行かなければならない…そんな100%の自分を維持することに疲れ果て、次男は自ら、ゼロに戻ったのです。


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