「ルッキズムの助長につながる」という言葉を見て

今、有名大学のミスコンとミスタコンの廃止を始め、ルッキズムが問題視されています。それ自体はいいです。別に私に関係ないというか、外見より中身を見よう、結構じゃないですか。私も見た目に自信があるわけではないので、むしろ嬉しいです。

だけど、女性の社会進出に、専業主婦になりたい女性もいるのではないか、働き手が欲しい国や企業に踊らされているのではないか、という疑問が湧き出てくるように、ルッキズムへの批判にも少し疑問があります。

私たちは少なからず人を外見で判断します。視覚を頼りに情報を収集するのなら、それは致し方ないことです。人によって重視する観点は違うかも知れません。私は声と話し方と匂いも気になります。いやまあ誰だってそうでしょうか、電話での交流が先、とか、手紙での交流が先、とか(または何かしらのハンデを持っている人)以外は、基本的に第一印象は外見で決まるのではないでしょうか。

さてそこで、最低な例えであることは自覚していますが、めちゃくちゃ見た目の良い人がいたとします。ですが、特に話が面白いわけではなく、これと言った特技もないとします。自分の外見を気に入っているその人は、外見を磨くことに注力します。外見で自分を判断してほしい、努力しているのはそこだから、と思っていたとしたら、その人の魅力を否定することにつながるのではないか、と思ってしまうのです。

確かに、だったら他の部分を磨けばいい、外見はもらったものであって自分の努力の結果ではない、という意見もあるでしょう。それはもっともであり、残酷です。人には得意不得意があります。外見が親にもらったものだとして、果たして他の能力は完全に自分だけの力と言えるのでしょうか。生まれつきの、天性のセンスというものはもらったものではないでしょうか。外見を優れているとしてそれを見て欲しい人がいるなら、それも見てあげられないのか。モデルだって努力はしているけれど、絶対的に足が短い人がなれないのだと仮定したら、それは外見至上主義ではないのか。

ルッキズムの批判は、人を外見で判断しないという良い面と、自分の武器を取り上げられてしまう人がいる、という難しい面があると思います。人が評価して欲しい部分はそれぞれです。自分の顔を評価してくれ、と言われたら、その人の意思を無視してその人の(もしかしたら自信のない)中身を見ることが正義なのでしょうか。

かと言って外見を他の能力同様に扱うとそれはそれで不平等感が出るのは確かで、そう簡単に結論が出る問題ではありません。単純に優秀な人が顔がきれいな人だったら嫌な憶測が出てくるのも現実です。批判したってなくならない、だから批判するしかない、それだって必要なことはわかっています。外見から逃れられないのなら、あんまり取り沙汰すると重傷になりそうです。

ちなみにミスコンミスタコンに出る人は外見を見て欲しくて、その武器で戦うためにエントリーしているわけだから、勝手にやればいいんじゃないかな、とも思います(別に外見以外の武器がないとは言っていませんよ)。評価されたくない人はエントリーしませんし、大々的にやるのは社会へのルッキズムの押し付けにつながる、と考えられるかも知れませんが、正直有名大学であろうがなんだろうが、ミスコンミスタコンに興味ない人は、あまり関心持って結果を見守るわけがありません。あくまで私の意見ですが! それも今現在の!!! 意見は変わりますから!!!(保険)

変わる時代の変わる内容が全て自分に合っているわけではありませんし、なんなら正しさなんで曖昧なものだと思います。ルッキズムを擁護したいわけではありませんが、今の流れが全て正しいものだとも思いたくありません。グローバル化より鎖国しよう、という考えも素敵で大好きです。あんまり聞きませんが。

とはいえ時代の流れに批判的?であるためには知識も必要です。私にはこれが足りてない。だからもっと本読んだり、情報集めたりしなきゃな、と思います。

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