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#54 忙殺されることを愛せるか

最近気に入っている言葉、忙殺。正しくそのままの意味で、「ひじょうに忙しいこと。 仕事などに追いまくられること。」を言うのだそう。

私は日々を忙殺され続けている。忙殺は、「忙殺される」の形で使うことが正しいみたい。でも、私の場合は自分で自分を忙殺している。被害者であり、加害者である。殺し殺されている。

元々暇より忙しい方が好きな私だけど、その理由を考えてみた…DaiGo曰く、人間というものは暇な時は不安になる生き物らしい。本能から来ているもので、生き残るために、生命の危機に陥らないように、不安なことをあぶりだしてしまうものらしい。

まさにそうで、特に私なんてこの不安が多くて仕方ない…「今日の夕飯は?」「明日は何を着よう?」なんて所から始まり、「あぁ、私のお墓はどこへ建てよう…」なんちゅうところまで行き着いてしまう事すらある。有り得ないくらい落ち込んでしまう日もある。暇だから…

だからこそ私は、自分を「忙殺する」し、忙殺するとたくさんの出会いがある。ご縁を感じる出来事に沢山出会い、忙殺ゆえの人生の波が出来るというわけさ。

当然、自分に飽きない。暇じゃないから落ち込む暇もないし、自分に飽きないかつ自分を好きになれることにばかり出会えて、なんと良くできた制度!

忙殺について何となく書き始めてみたのに、すっかり忙殺のトリコ。それに忙殺は、乙女の失恋の特効薬にもなりうる。

あぁ、忙殺忙殺っ、なんて小走りで、風に吹かれて自分を愛してたいもんです。

忙殺忙殺、諸行無常の響きあり…とな…

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