![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144871334/rectangle_large_type_2_b5d5a8bfb4a89471297c377ef81620d3.png?width=1200)
Photo by
kawazoemutsumi
#54 忙殺されることを愛せるか
最近気に入っている言葉、忙殺。正しくそのままの意味で、「ひじょうに忙しいこと。 仕事などに追いまくられること。」を言うのだそう。
私は日々を忙殺され続けている。忙殺は、「忙殺される」の形で使うことが正しいみたい。でも、私の場合は自分で自分を忙殺している。被害者であり、加害者である。殺し殺されている。
元々暇より忙しい方が好きな私だけど、その理由を考えてみた…DaiGo曰く、人間というものは暇な時は不安になる生き物らしい。本能から来ているもので、生き残るために、生命の危機に陥らないように、不安なことをあぶりだしてしまうものらしい。
まさにそうで、特に私なんてこの不安が多くて仕方ない…「今日の夕飯は?」「明日は何を着よう?」なんて所から始まり、「あぁ、私のお墓はどこへ建てよう…」なんちゅうところまで行き着いてしまう事すらある。有り得ないくらい落ち込んでしまう日もある。暇だから…
だからこそ私は、自分を「忙殺する」し、忙殺するとたくさんの出会いがある。ご縁を感じる出来事に沢山出会い、忙殺ゆえの人生の波が出来るというわけさ。
当然、自分に飽きない。暇じゃないから落ち込む暇もないし、自分に飽きないかつ自分を好きになれることにばかり出会えて、なんと良くできた制度!
忙殺について何となく書き始めてみたのに、すっかり忙殺のトリコ。それに忙殺は、乙女の失恋の特効薬にもなりうる。
あぁ、忙殺忙殺っ、なんて小走りで、風に吹かれて自分を愛してたいもんです。
忙殺忙殺、諸行無常の響きあり…とな…
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?