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平安京の鬼門は記憶の入り口

プロローグ

ひとの魂はどこから来るのだろうか。
魂は宇宙の源から来て肉体に宿るという認識がある。いくつかの体験によって、私は宇宙であり宇宙が私であること、ミクロがマクロであることを私は知っている。いくつもの過去世、いくつもの肉体を体験しながら、仏教で言うところの輪廻を繰り返す。修行、修行って、いつ成仏するの?終わりが本当にあるのか?
逆に全人類の修行が終わり全て成仏すれば、修行場である地球は必要なくなるとも捉えることができる。そんな疑問を抱きつつも、数年前からいよいよ輪廻のシステムも終わりに近づきつつあるのではないか、そんな兆しを感じていた。
混乱の今この時に書きたい!と思う夢体験もあるのだが、それは少し後に取っておくとして、まずはこの流れにたどり着くひとつのキーとなる不思議体験から語ってみたい。

京都、北野天満宮のすぐそばで生まれた私は、父の姉である叔母がいる造り酒屋で大家族で幼少期を過ごした。蔵を走り回り、天神さんで近所のお姉ちゃんと遊んだ。天神さんの牛を撫でたり灯籠に乗ったり、鎮守の森の奥で藁人形を見たこともある。
5歳の時、祖父と同居することになり、晴明神社の少し南の父の実家へ引っ越しをする。寺にお嫁に行くまではその家で育った。
法華経信仰に厚い叔母に連れられて、父の兄弟家族みんなでお参りしていた日蓮宗の寺院が今の嫁入り先である。

夫が住職をしていた寺と義父が住職をしていた寺があった。両親が暮らしていた寺はすぐ裏が変電所で、ちょうど次男を妊娠中に古くなった本堂を取り壊し改築したが、程なくしてその電磁波障害で倒れて住めなくなり、私たち夫婦の寺で同居となった。それが原因で寺は無住になり門が閉じられたが、その21年後に奇跡の再開を果たす。残念ながら両親は再会を見ることが叶わぬままあの世に旅立ってしまったが、このことについてはまた長いストーリーがあるので、おいおい語っていくことにする。

ハワイの記憶と恩返し

いくつかの前世というものがあるとしたら、私にとってそのひとつはハワイでの人生だった。
ある友人の死から、その友人を成仏させるための旅と不思議体験。
その体験から走馬灯のように紐解かれた過去世のビジョンにより、ハワイでの人生とやり残したことが浮かび上がる。
そのやり残したことのために、10年の年月をかけてフラやハワイアンミュージックに携わることになる。恩返しのような10年。10年経って全てをリセットしたが、魂の源はまだそこにある。日本とハワイ。海に囲まれた島国としての魂のつながりを感じながら、日本の濃いストーリーへと突き進んでいくことになる。

平安京の鬼門

ハワイの課題が終盤を迎えつつある頃、同時進行で日本の過去世のストーリが交差するように始まり出した。
何度体験し、何度生まれ変わっても、その魂のテーマというものは変わらないものだ。ハワイと日本の過去世もきっとそうなのだ。
まずは今へつながるその象徴的な不思議体験を語ってみよう。

平安京の鬼門に鎮座する大津坂本の日吉大社に初めて詣でたのは友人夫妻の誘いだった。誘われて始めた四柱推命の勉強会を最初に先生に依頼したのがその夫妻で、月一回一緒にうちの寺の一室で四柱推命を学びながら、それぞれの人生や過去世のビションなど様々に語り合った。友人夫妻は、子育てと両親の看護で子どもの学校のPTA以外ではほとんど出かけたことがなかった私を様々なところへ連れて行ってくれた。山添村の磐座や、和歌山橋本のゆの里に連れて行ってくれたのも彼らだった。
日本は元々神仏習合だが、寺に嫁いでからは神社へのお詣りを控えていたので、日吉大社詣りは私にとって久しぶりの神社詣りだ。でもお詣りというよりは「ちょっと面白い所なので。」というお誘いに気軽に乗ったという感じだった。

「日吉大社の西本宮は夜の神様なんですよ。」
そう聞かされ、四柱推命の先生と2人、彼らの車に乗せてもらってまずは比叡山延暦寺にお参りし、日吉大社に辿り着いたのが午後4時半過ぎだったと思う。

山王鳥居

西本宮の山王鳥居は不思議な形をしている。普通の鳥居形ではなく屋根のような三角の尖ったものが乗っている。合掌鳥居と言い、神仏習合の信仰を表しているらしい。その山王鳥居を潜った途端、山から向かい風が吹き不思議な感覚に囚われた。夕方なのにふんわりと明るく何故か懐かしいような温かみを感じる。
少し行くと神猿(まさる)さんがいらっしゃるケージがあり、それより手前だったか後ろだったか記憶が定かではないが、枝の曲がった低い木が生えていた。
小ぶりだがちょっと年老いたその木が、どう見ても私に「いらっしゃ〜い!」とコンタクトしゆらゆら揺れているように見えるのだ。

その木のことが気になりチラチラと振り返りながら、先導されて西本宮の楼門へ向かう。神職の方が「こんにちは。」と挨拶をされる。「ほら普通なら夕方は閉門だけど、そんな感じじゃないでしょ。」とご主人のTさんが言う。皆で会釈をしながら西本宮の楼門をくぐり、本殿でお詣りをした。引き返し、また楼門を出るとその西脇はすぐに比叡山だ。一本の大きな杉の御神木がまるで挨拶をしているかの如く揺れ、山の奥から精霊たちが次々と走り降りてくる。そんな幻影のようなビジョンを感じながら、そこにいる仲間はみんなスピリチュアルな人たちではあったが、私はそのビジョンは話さずにいた。

西本宮から離れ、隣の宇佐宮、白山宮へと足を進める。比叡山の湧水がそのまま各本殿の周りの浅い堀へと導かれており、その静かな水音に清々しい空気が漂う。白山宮の本殿前の白砂を眺めながら、(ここでフラを踊ったらハワイの聖地で踊るのと同じだな〜。)何故かそんなことをふと思った時、Tさんが言った。「僕、ほとんどビジョンは見ないんだけど、今カヨさんが白い衣で踊ってるのが見えた!ここに一番縁が深いのはカヨさんかも知れないですね。」

「カヨさんが好きだと言ってた川が流れる森ってこんな景色?」Tさんにそう聞かれながら、その景色はハワイの景色と思っていたけれど、それは日本の景色でもあったのだろうか?西本宮の奥の飛龍の滝を何とも言えない懐かしいような、それでいて少し胸が高まる不思議な記憶の始まりのような気持ちで眺めていた。この時の日吉大社での出来事がまさかただの序章に過ぎなかったとは思いもよらずに。



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