見出し画像

21.水木しげる記念館

息子が「僕の先輩」と慕う水木しげるさんの記念館。

「水木しげるさんは今も生きてるの?」

「もう亡くなったよ。でも、そんなに前じゃないよ。」

「会ってお話してみたかったな~。」という息子。

息子の目にみえる妖怪は、水木しげるさんの描く妖怪とそっくりだという。

記念館の展示の年表を見て、息子が2歳の時に亡くなられたということがわかった。

水木しげるさんは、いつ頃からみえていたのかなと気になっていたら、年表に記載されていたのが、

水木さんが幼小の時に、”のんのんばあ”と呼ばれていた近所のおばあさんがいて、お世話になっていたとのこと。

そのおばあさんに、妖怪の話をよくされていたこと。6歳の時に、外を歩いていて背後からきた妖怪が、のんのんばあから説明されていたので、なんの妖怪かが見なくてもわかった、感じたということが書かれていた。

やっぱり、息子もそうだけれど、年少の頃から捉えていた方だったんだね。

日本中、世界中を冒険して歩き、実際にみたものを表現し続けた方。

晩年、妖怪がいる江戸の景色を葛飾北斎風に表現されたカラフルに色付けされた絵は、デジタル主流の今、自ら筆をとり、色に納得がいくまでこだわり抜いたという芸術作品だった。

漫画を描き始めてからの移り変わりをずっと見てからの、最後の作品として展示されていた。ジーンと胸に。涙が出そうに。

この作品を目の前で見れて良かった。この作品を見るために、ここに来たんだ。心からそう思った。

水木しげるさんの故郷、境港。境港駅周辺。駅構内、電車。街並み、水木しげるロード。ゲゲゲの鬼太郎一色。亡くなられても尚、故郷に貢献される作品を、一生を通して描き続けたことに感動した。

画像3

ゲゲゲの鬼太郎ラッピング電車、他にピンクバージョンもあり

画像4

外には、目玉おやじの外套がある境港駅

画像5

車内の天井

画像6

車内アナウンスが不安げな鬼太郎の声で、本当の駅名がもはやわからないユーモアたっぷりな看板。

画像1

展示で(撮影が許可されているもの)六芒星が書かれている漫画があった。息子も神社、神さま、妖精などによく六芒星を描く。

画像11

水木さんは、沢山の日本の妖怪と遭遇していたんだね。

画像12

冒険旅行に出かけた先で出逢った妖怪も描き続けていたんだね。

Geogle earthで海外を見ても、そこにいる妖怪がみえるという息子。でも、

「実際に見た方が細かいところまで見えるから行ってみたい。」そう言う。

画像7

息子曰く、今回の旅で出雲大社でみた妖怪。出雲大社を守っている監視員みたいな妖怪。電線の上から落ちてきたという。おとろし。

画像8

息子曰く、飛行機に乗ってる時、琵琶湖付近上空で顔を見たという妖怪。見上げ入道。見上げれば見上げる程、大きくなる妖怪で、だいだらぼっちと一緒に歩いていたという。


画像9

以前、横浜に行った時に、首から上しかない人が何人かいて、と息子から聞いていた。かなり大きいらしい、舞首のことだったんだね。一つが雷を操って、もう一つは火を操って、もう一つは風を操っているのを見たそう。

画像10

水木しげるロードのちょうど中間地点にある妖怪神社。鳥居をくぐり抜けてみると、「お母さん!ここにほんとに妖怪が沢山いるよ!」と、奥の方まで連れていかれた。(私は見えないけれど)

画像10

最後に、境港駅前で記念に水木さんとパチリ。

鬼太郎はきっと水木さんの分身だったのかな?左目はいつも髪の毛でカバーされていて、右目で現実世界をみて、さまざまな妖怪たちを従えて歩く鬼太郎。戦争で左手を失い、現実世界でみえた景色を右手で表現し、それを現実世界に送り出した水木さん。二人が重なってみえた。

息子も、見えない世界の住人を引き連れて日々生活しているらしい。

息子はこれからどんな世界を現実世界に表現して生きていくのかな。楽しみだな。

makana.7


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?