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『ふがいない僕は空を見た』映画


 久しぶりに、胸が苦しくなる映画を見た。

 元々は永山絢斗目当てで見た映画だったけど、いい意味で想像を裏切られた。
 大胆な演技も見どころではあるけど、それよりも登場人物一人ひとりが抱えるものに胸を締め付けられた。

 主人公の斉藤卓巳、あんず、友人の福田、福田のバイト先の先輩・田岡、卓巳の母、、、
 宣伝文句(?)か何かの記事でも見た、まさに”性”と”生”に関する話だった。

 Filmarksの評価を見ると、極端に分かれていた(めちゃくちゃ酷評するものも見受けられた)けど、個人的にはかなり好きだった。
 

 ネタバレになってしまうので、うっすい灰色の文字で書きたいところ。


 はじめは、福田と同じ団地に住みバイト先も同じ女子のいたずらに便乗する福田の気持ちが分からなかった。単純に、「なんで? ひどすぎる…」と思ってしまったのだが、福田にフォーカスされるにつれて、彼の抱えていたもの、背負わされていたものの大きさが分かり、彼が卓巳に言い放った「自分だけが不幸だと思うなよ」という気持ちがその言動力になっていたのだなと解釈をした。

 結局、福田は何も言わずに卓巳の漕ぐ自転車に並走するし、何も言わずに席に着くし、冷やかしてくる連中に対しても何も言わず、ただ卓巳のとる行動を見守っていた。

 福田も福田で、自分の置かれた現実を受け止めて、先輩・田岡が導いてくれたように、今の現状を抜け出すための一歩を踏みしめた。好きじゃなかった勉強を始めた。
 そうやって腹を括れたからこそ、卓巳の踏み出した一歩に並走できたんだろう。

 なんだか、あの道を自転車で通るシーンは不穏がつきものだったけど(卓巳の二人乗りにしろ、あんずから逃げ出した卓巳にしろ、ビラを撒き散らす福田と女子にしろ、バイト先から逃げ出した福田にしろ、自転車を押して歩く義母と寄り添うあんずにしろ)、
 二人の並走シーンによって上書きされて安心した。きっと卓巳もここで救われていたのかもしれない。
 

 教室で卓巳はぎこちない笑みを見せる。ひねり出したような笑顔は、何故だかとても爽やかなものに思えた。

『僕たちは、僕たちの人生を、本当に自分で選んだか』

 卓巳の心の声は、この作品の核だったんだろうなあ。


 人生は選択の連続だってよくいうけど、既に決められた道筋があって、選択できないものもあって、そういう決められてしまった背景を前提に生活していかないといけないのかな。
 そう考えると、やはり”生”は残酷だと思うし、どんな世界を見てどんなものを信じてどんな風に生きていけばいいのか分からなくなっても、生きることだけは捨ててはいけないんだろうなと思った。


 どうしても自分の感想は陳腐になってしまうのだけど、
『ふがいない僕は空を見た』(R15+)は2021年1月31日までGYAO!で無料視聴できるみたいなので、ぜひみなさんにも見てもらいたいですね。

 ちゃんと書いてないけど、永山絢斗だけではなく窪田正孝、田畑智子、三浦貴大などが出演しています。