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『古畑任三郎』感想~1st season 第一話「死者からの伝言」(ゲスト:中森明菜)

最近、ドラマ『古畑任三郎』を第一話から順番に見直してまして、気になったエピソードについて感想を書いていきたいと思います。
まず、記念すべきシーズン1の第一話「死者からの伝言」です。

(一番最後に、警告後、『古畑任三郎』の「死者からの伝言」と、『刑事コロンボ』の「死者のメッセージ」についての、物語の核心に迫るネタバレをしています。ご注意ください。また、それ以前の本文にも適宜「死者からの伝言」について内容に触れていきます。)

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第一話ということで、このエピソードには、後の『古畑任三郎』シリーズに通じる特徴が主に3つ、すでに明示されていると思います。
その3つとは、

  1. ドラマ『刑事コロンボ』にオマージュをささげつつ、オリジナリティも打ち出している

  2. 生活感がないところを舞台にしている。

  3. ワンシチュエーションものである。

です。シーズン1の第二話以降も、シーズン2でも、シーズン3でも、スペシャルでも、これらは(少しの例外はあるにせよ)通底する特徴です。
では、これらの特徴が「死者からの伝言」ではどのように表れているのか。一つずつ見ていきたいと思います。

1.『刑事コロンボ』

まず一つ目の特徴である「ドラマ『刑事コロンボ』にオマージュをささげつつ、オリジナリティも打ち出している」点です。
『刑事コロンボ』はアメリカのテレビドラマで、ピーター・フォーク演じるコロンボ警部が、わずかな手がかりから殺人事件を解き明かして、犯人を追い詰めていくミステリー作品です。そして、もともと『古畑任三郎』は当時のフジテレビの石原隆プロデューサーと三谷幸喜が打ち上げの席で『刑事コロンボ』フリーク同士として意気投合したことから始まったドラマです。
犯人が最初から明示されているいわゆる倒叙ものである、犯人役をスター俳優が演じている、古畑任三郎は警察の人間であり類まれな推理力を発揮する、などなど『刑事コロンボ』と『古畑任三郎』は共通する点がいくつもあります。今作の「死者からの伝言」でも、これらの特色を欠けることなく示しています。漫画家小石川ちなみを演じるのは国民的な知名度を誇る中森明菜であり、冒頭で小石川が被害者を倉庫に閉じ込める殺害シーンが描かれます。たまたま現れた古畑は、被害者のわずかな遺留品やふとした会話から、じりじりと犯人を追い詰めていきます。

さらに、今作の「死者からの伝言」は、『刑事コロンボ』の中の「死者のメッセージ」というエピソードに非常に設定が似ています。犯人が作家であること(「死者のメッセージ」がミステリー作家。「死者からの伝言」はコミック作家)と殺害方法(中からはドアが開かない密室に閉じ込めて窒息死させる)がかなり似ています。
これらの点を見ると、「死者からの伝言」は『刑事コロンボ』から非常に大きな影響を受けて作られていることがよくわかりますが、単に一つ一つの要素をそのまま真似しているだけではありません。

例えば、今泉慎太郎という登場人物。ホームズでいうところのワトソンのような役どころですが、『刑事コロンボ』には今泉に当たるキャラクターは出てきません(コロンボの相棒となるような刑事はたまに登場しますが、レギュラーにはなっていません)。今泉と古畑のやり取りはまるで漫才のようで面白く(現在の目から見るとパワーハラスメントにも見えるのですが)、今泉は、コメディ作家である三谷幸喜ならではのキャラクターと言えるのではないかと思います。
また、古畑任三郎自身も、コロンボと全く同じような個性を持っているというわけではありません。ぼさぼさの髪型で、よれよれのレインコートを着て、葉巻を吸って、ボロボロのシルバー・カラーのクラシック・プジョーに乗って現れるコロンボに対して、古畑は、こぎれいな恰好をして、髪を完璧にセットして、セリーヌの自転車に乗って登場します。葉巻は吸わないし、タバコもめったに吸いません。
コロンボのキャラクター設定をそのまま真似するのではなくて、日本独自の名探偵として、古畑を作り上げていることが、これらの点からよく分かります(ちなみに、コロンボも「ルテナント=警部補」だそうです。ここはコロンボと古畑は一緒です)。

そして、「死者からの伝言」は『刑事コロンボ』の「死者のメッセージ」と設定が似ていることを先ほど述べましたが、この点もただ真似しているだけではなくて、古畑独自の展開をドラマの後半で見せています(この部分についての記述は「死者からの伝言」」と「死者のメッセージ」双方の物語の核心に触れることになるので、この感想の一番最後にまとめて記しておきたいと思います)。『刑事コロンボ』にオマージュをささげつつも、独自のドラマを作っていくぞというメッセージが、設定だけでなく、物語の具体的な展開からも読み取れるのです。

2.生活感がない

次に、二番目の「生活感がないところを舞台にしている。」です。古畑は、「屋外」、「公共の場」、もしくは「犯人や被害者の仕事場」などが舞台となることが大半です。古畑を始めとする警察や、被害者、犯人、そのいずれのキャラクターも「普段どのような生活を送っているか」が描かれるのはまれです(もちろん例外はあります)。とにかく、画面から、登場人物の「生活感」を徹底的に排除しているのです。今作では、犯人である小石川ちなみの別荘が舞台ですが、古畑が劇中で「恐ろしく大きな家ですね。」と言っていることからわかるように、日本では非日常的と言ってもいいほどの豪邸です。リアルな生活感をあまり感じさせないような設定になっていると言って良いと思います。

3.ワンシチュエーション

つづいて3つ目の「ワンシチュエーションものである。」という点です。古畑は、あちこちに舞台が移ることはなく、限られた空間で物語が展開されることが多い印象です。例えば、学校の中、ラジオ局の中、列車の中、というように(もちろんこれも例外はありますが)。作品のほとんどが、舞台劇にしても成り立つようなストーリーです。今作も、そのほとんどが、家の中だけが舞台のこじんまりとした作品です。このスケールの小ささは、古畑の一連の作品の特徴と言えるのではないでしょうか。


以上のように、第一話「死者からの伝言」では、後のシリーズに通じる一種の雛形が確立されており、第一話にしてすでに、『刑事コロンボ』を、独自の魅力をプラスした全く新しいミステリードラマとして生まれ変わらせたとことが言えるのではないかと思いました。


最後に、「死者からの伝言」と刑事コロンボの「死者のメッセージ」の相違点について記しておきたいと思います。ここからは、「死者からの伝言」と「死者のメッセージ」の核心に少し迫るのでご注意ください。両作品をまだご覧になってない方は、ぜひご覧になってから、以下の部分をお読みください。




一つは「ダイイングメッセージ」です。「死者からの伝言」と「死者のメッセージ」、どちらも、被害者が残したダイイングメッセージが非常に重要になってきます。どちらの被害者も、犯人の「作品」に関するものをダイイングメッセージに使用しているわけですが、『刑事コロンボ』が、その「作品」をそのままメッセージに転用しているのに対して、古畑任三郎の方は、そこに少しひねりをくわえています。もっと言うと、ミスリードしているようにも見えます。つまり、本来は白紙の方が重要であるのにかかわらず、あたかも漫画が描いてある表が重要であるかのように誘い込んでいるんです。
もう一つはラストの描写です。『コロンボ』の『死者のメッセージ」の方は、犯人である作家のとあるお願いを、コロンボが断るわけですね。しかし、『死者のメッセージ』では、犯人のお願いを、古畑は受け入れています。コロンボのドライな印象を受ける結末に対して、古畑の方は、少し優し気な雰囲気を感じます。
この2つの点から、コロンボを下敷きにドラマを作っていながら、同時に「自分だったらこうする」という、三谷幸喜からの、刑事コロンボファンへの「メッセージ」、「伝言」があるように思えるわけです。

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