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フィルムデビューした体験を振り返る/#048

写真を撮りだして半年。デジタルでフィルムを再現する「フィルム風」が流行っていた。その流行りに乗っかりレタッチでフィルムのような色味や粒子を加えるなど血眼になっていた。しかし本物のフィルム写真を撮ったこともなければ、まじまじと見たこともない。あまりにも無知であった。本物を知らなければ語れないと思いネット上の波を次から次へと乗りこなす。そこで出会ったのがNikon FM2

このカメラはフィルムカメラの入門機として写真学校の学生も愛用していたというほど。基礎中の基礎を学べるカメラだ。電池を必要とせず完全機械式でシャッターが切れる。自分でF値、シャッター速度、ピントをマニュアルで決める。そして息を飲むようにシャッターボタンを押す。手に伝わる振動と心地よい響き、言葉にできないような温かな空気に包まれた瞬間であった。

カメラが手元に着いたのは仕事終わりの夜だった。帰り道にカメラのキタムラでフィルムを買い、高らかに鼻を鳴らし家路を急ぐ。その日ばかりは赤信号によく捕まり鼓動がより高まっていた。玄関を開けると靴を揃えるのも足早に部屋へと向かう。薄暗い部屋に小さな箱がうっすら見える。部屋がパッと明るくなるとそこに待ち望んだ存在があった。

右も左も分からない道の領域。それがフィルム。もちろん買ってきたフィルムの装填方法すら知らない。YouTubeを見ながら慣れない手つきで震えながら装填した。これで合っているにかすらも分からない。撮りたくて撮りたくてウズウズしてまともに寝れなかった。

明くる日、カメラを片手に早速出かけた。撮りたくて撮りたくて仕方ないのだ。しかし撮ると何を撮ろうと悩んでしまう。なにしろ36枚しか撮れないのだから必然的に慎重になる。迷いながらも半信半疑で撮り進める。ちゃんと写っているにだろうか?早く見たい!そんな思いが積み重なる。まだ見えぬ結果だが撮影そのもの満足度は高かった。ひとつひとつ丁寧に写真を撮ったからだ。今までには無かった感覚、シャッターを切るたびに何も表示されていない背面に視線を落とす。舌先をペロッと覗かせフィルムであることを再確認していた。

待ちに待った現像から返ってきたデータ。どれも少し前に撮った写真だがひとつひとつ覚えていた。これはどんな時で何を考えていたのか事細かにエピソードや匂いさえも蘇る不思議な感覚。そこから僕のフィルムへの愛が始まったのだ。フィルムは目の前の大切なものを気づかせてくれる。被写体と対話することの意味を教えてくれる。そんな存在で今も愛用している。

そのキッカケとなったNikon FM2には感謝している。オススメのフィルムカメラを聞かれたとき、真っ先にその名を伝えている。僕と同じように新しい世界との出会い、写真の楽しさに気づく人が増えることを願っている。

以下にファーストロールの一部を掲載

純粋に撮ること残すことを楽しんだ写真。これといったインパクトもないが自分にとってのルーツ。この時の経験があったからこそ今がある。定期的に見返している写真たち、あの頃の自分と会話をしているような感覚になる。

SUBARU(マカベ スバル)
鳥取県在住 / なにげない日常をテーマに写真を撮っている / 出張撮影 / 写真イベント企画  / 鳥取のPR活動も行なっている。
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