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語学はどうやったら習得できるのさ?
語学はどうやったら上手になるんだろう?
この記事は「⚪︎ヶ国語ペラペラな私が実践した勉強法☆」とかでは全くなくて、
フランスの大学で悪戦苦闘しながら勉強している私が、「どうしたら言語は上手くなるのか?」について、今思うことをまとめてみたものだ。
きっと来年の私、数年後の私はまた違うことを言うんだろうなと思いながら、書いてみる。
そもそも習得なんて言うけどさ
そもそも、「語学習得」なんて書いたけれど、言語に限らず学問は、「今日、完璧に習得したぞ!」と言う日が来るものではないだろう。
母国語の日本語にだって、書けない漢字はたくさんあるのに。幾人もの先人が作り上げた言語を、一人の人間がそう簡単に「習得」できるはずない。
そういえば、2014年に放送していた朝の連続テレビ小説の「花子とアン」の最終話は、とても印象的な結びだった。
ちなみに「花子とアン」は、赤毛のアンを日本語に訳した村岡花子さんをモデルにしたドラマだ。
貧しい家に生まれた花子が東京の女学校で英語を学び、翻訳家になるという半生を描いている。
その最終話では、歳を重ねた花子が英語の本を読んでいる。
そこに分からない単語を見つけ、居ても立っても居られない様子で辞書を繰り、「cantankerous, cantankerous…。『意地悪な』か!」と満足そうに微笑む姿で幕を閉じる。
何十年と翻訳生活を送った花子にも知らない単語があるのだ。
知らない単語を見つけて好奇心が抑えられないで辞書をめくる花子の様子に、私は「うわー、敵わない」と思った。
花子にとって「知らない単語」とは、心をわくわくさせるものなのだ。私は、どちらかと言えば知らない単語を見つけたらイライラしてしまうかもしれない。
言語というのは習得するものではなくて、追い続けるものなのかもしれない。
語学を学ぶことは、プールで泳ぐこと
人生で初めて外国に住んだのは、高校2年生の時のアメリカ留学だった。フランス語を教えてくれたミスターC(cから始まる長い苗字だった)は、大好きな先生だった。大学を出たばかりでまだ学生たちとそう年齢の変わらないMr. Cは、友達のように生徒に接し、留学生の私のことも気遣ってくれた。
そのときにMr. Cが言語学習について教えてくれた言葉は、今もよく思い出す。
「言語を学ぶとき、
リスニングとリーディングをすることは、プールに水を溜めること。
ライティングとスピーキングをすることはそのプールの中で泳ぐ練習をすること。
プールに水をなみなみ溜めていても、泳ぐ練習をしなくては泳げるようにならないし、
逆に、いくらあなたの泳ぎが上手くてもプールに水が入っていなかったら、やっぱり泳げない。」
語学を上達させるにはバランスが大事、と言うことが簡潔に表された例だと思う。
地道に、バランスよく自分のスキルを重ねていって、少しずつ言葉が上手くなる。
上に出た「話す」「聞く」「読む」「書く」の4技能はもちろん、もっと細かく考えれば、知っている単語の数、発音、文法力、土壇場でのはったり力…。いろんなことを少しずつ補って、前に進んでいくんだと思う。
コロンビア人のマリアちゃんに学んだ「姿勢」の話
また、語学留学でフランスに来た際、他の国から来たクラスメイトに学ぶことも多かった。
レベル分けテストを受けてクラスを分けられているのに、クラスメイトたちはなぜか私よりもフランス語がペラペラ。
私は自分のフランス語にどんどん自信がなくなり、萎縮してしまった。
授業中に発言して、先生にもう一度繰り返すように言われたときには
「ごめんなさい、えっと…。」と、たじたじとなって繰り返した。
しかしコロンビアから来たマリアちゃんが、私と同じように先生に発言を聞き返された時のことだ。
マリアちゃんは肩をすくめながら、「あら、先生私の言ったことわからなかったの?しょうがないなー、もう一回言うけど…」といったテンションで、発言を繰り返した。
私はびっくりした。
「自分が伝えられなかった」ということは同時に「相手が聞き取れなかった」ということなのだ、と気がついた瞬間だった。
言語上達の上でこの姿勢は(特にフランスでは)大事かもしれない。
街中なんかで人と話す時、言ったことがうまく伝わらないと、相手に眉をしかめて「えっ?なに?」みたいに言われたりする。そんな風にされるともう嫌になってしまう。買い物なんかほっぽり出して家に帰りたくなる。
でも、そうやって凹んでしまうのではなくて、
「ちょっと、私はフランス人じゃないのにフランス語を勉強して一生懸命しゃべってんのよ。あなたネイティブなんだったら理解してよね」
という姿勢はとても大事だと思う。(偉そうにするのではなく、萎縮せずに堂々とするということ)
だがしかし、日本では奥ゆかしさとか謙虚さが大事にされることが多い。日本で育ってきた私には、姿勢を変えるのは最初はとても難しかった。
でも、自分のできないことに申し訳なさを感じすぎると、しんどくなってしまったりする。
困難にチャレンジすることが語学を上達させる上で大事なのに、次のチャレンジが億劫になってしまう。
何事も自分のせいにしすぎないことが大事だ。
まとめ
結局、言語を習得するのに、近道なんてないんだろうなーと思う。やるべきことをコツコツやって、あとは前のめりの姿勢でいろいろ挑戦してみる。
それでも毎日「どうしてこんなに喋れないんだろう、どうしてこんなに聞き取れないんだろう」と思う。
でも来た道を振り返ってみると、「去年の自分と比べると、めちゃくちゃ上達したな」と自分で驚く。
それを、繰り返してだんだん、言語をより自由に操れるようになる。
言語学習に限った話ではないけれど。
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